芭蕉林通信(ブログ)

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2025年12月22日 今年の冬は

 この1年を振り返ると、国内外で政治経済や自然災害などあらゆる分野で目を見張るような出来事が相次いだ。いずれメディアから年間10大ニュースとして発表されるだろうから、ここでは詳細には触れまい。ただ、年末恒例の今年の漢字に「熊」が選ばれたのには驚いた。熊の住んでいない九州にいると熊の出没はよそ事に思えるからである。九州人の願いは、熊が関門海峡を泳いで九州に来ないことなのである。

 今年の冬は例年に比べても暖かい。猛暑、酷暑の夏から厳しい残暑が続き、急に気温が下がった時は秋をパスして一挙に冬になった気分になったほどだ。その頃は体調管理が大変だったことを思い出す。そして冬至の今、この暖かさはやっぱり地球温暖化の影響かと不安に襲われるのである。

 庭の紅葉も今年はなかなか色づかないと思っている内に枯葉になって散り始めた。なんとも風情のない秋だった。いやそもそも秋がない一年であったというべきかもしれない。とはいえ、庭にある2本の紅葉のうち1本だけはやっと紅葉し庭を彩ってくれたのは、春から枝の剪定にいそしんだ身にとっては季節の贈り物と思え内心嬉しかった。

2025年12月15日 レゴを並べてみる

 レゴ制作をいつから始めたかよく思い出せない。せいぜい10年前ぐらいからか。が最初に作ったのは映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のブラックパール号かスペースシャトルだったかだけは覚えている。どちらもレゴとしては大物(ピース数が多く、かついささか難しいという意味)からスタートしたことになる。その後はモーター付きの電車なども作ったが、それらは孫にプレゼントした途端すぐに壊されたので今や跡形もない。作成の労力を考えればもったいないことをしたと今では思っている。

 そうした反省から制作したレゴは保存にも力を入れて来た。そのおかげで、現在主な物だけで約20体ほどは手元に残っている。ただ、レゴは接着剤を使わずにブロックを組み合わせただけのものなので、移動させる時はとにかく壊れやすい。従って、主に自宅と長男の家に保管していたのだが、将来一か所に展示したいと思い、今般思い切って一か所に集めてみた(やはり移動させる時に数か所壊れたが)。

 レゴ制作の面白さは、タイタニック号を例にとれば1万ピースの大小のブロックを設計図頼りにひたすら組み立てていると、形が徐々に現れてくることにある。しかし、ピースは一個余っても足りなくても気が狂うので、細心の注意と集中力が試される。その緊張感と疲れを伴って完成した時の達成感は何事にも代え難い魅力がある。もちろん仕事の次の魅力ではあるが。

2025年12月08日 昔の料亭では

 老舗料亭が一軒一軒減っていくのを残念な気持ちで見てきた。熊本においては、官官接待への批判、活断層による大地震、新型コロナ騒動などの逆風を受け料亭での接待文化は急減した。私の祖父や父の代ではいまだ料亭での接待が多かった。なぜならば、今日のようにゴルフやカラオケなどない時代で、仕事が終わればすぐ近くの料亭に集合したようだ。だから仕事場兼自宅から100m以内には5~6軒は営業していたと思う。

 したがって、祖父は日頃から謡や仕舞を学び、料亭で仕舞を舞っている時に突然脳卒中に襲われその後寝たきりになったぐらいである。父は海軍中尉だっただけに遊びはぎこちなかったが、周りには芸達者が多くいて、私もぎりぎり「徴兵検査」や「つづり方教室」という素人とは思えないお座敷芸に抱腹絶倒した思い出がある。ちなみに、それらを記録して残したいと申し出て拒否されたことがある。きっと内容が恥ずかしかったのだろう。

 料亭でのもう一つの遊びは、手に入れた書画骨董を持ち寄り、仲間と鑑賞し合うというものがある。私も料亭を使う時は、顔ぶれを想像して何らかの物を持ち込み鑑賞してもらうように心がけている。今月の宴では、青不動の大津絵(表装が紙でぼろぼろだが)を床の間に掛け、山仕事をする人の手作りのキジ車(人吉の土産物)を組み合わせた。安価なものだが、オリジナルな空間演出ができたのは良かったと思っている。

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