芭蕉林通信(ブログ)

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2026年03月19日 祖母からの手紙

 捨てきれない手紙を多数持っている。これらはみな私信だけにこれからどう扱うか悩ましく思っている。しかし、改めて読み直してみると到底捨てることなどできないことが分かった。思いやりある文言にあふれているからである。祖母や祖父からの手紙は、私が大学生の時から社会人になった頃のものが多い。

 今日紹介するのは祖母からの手紙だ。メールやLINEが当たり前の時代には、手書きの手紙はその筆跡から祖母の息づかいまで感じられて貴重な品だと思う。もちろん個人的なものではあるが。祖母からは大学入学時にも1万円送金があり、記念品として買ったのがカール・マルクスの「資本論」だった。残念ながら在学中に読もうとしたが歯が立たなかった。お祖母ちゃんごめんなさい。

 写真は厄入りの手紙で直接祖母から手渡されたもの。その頃は東京での銀行生活を終え、郷里の熊本に帰っていたからである。手紙には私の健康を気遣う文言とともに「お祝い鯛一匹」の文字がある。同封されていた1万円札は鯛一匹の代わりという訳だろう。そしてこの1万円札を使わないままにしていたのは、前述の「資本論」の失敗が頭に残っていたのかも知れない。手紙は祖母からが3通、祖父からが21通残っている。これらを今読むと大切な初心というものを思い出させてくれる。

2026年02月26日 オリンピックとドゥオモ

 多くの感動を与えてくれたミラノ・コルティナオリンピックが閉幕した。連日報道される各種競技を感嘆しながら観ていたが、ミラノという街を説明するのに街のシンボルであるドゥオモが何度も映し出されていた。ドゥオモと言えば、今から33年前の1993年9月22日に熊本日日新聞の「きょうの発言」に「お城再建」という記事を書いたことがある。

 仔細は添付した記事を参照してもらいたいが、私が初めてミラノを訪れたのは記事の前年秋のことである。ファッションの街にふさわしく、街のどこかしこも美しく、街を歩く人は老いも若きもファッション雑誌から飛び出たようだった。ドゥオモの威容とその美しさは長い建設期間があってこそであるが、それにしても完成まで450年間という長きを要したことに驚いたものだ。

 スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリア教会にも訪れたことがあるが、建築家ガウディの遺志を継いで信者の寄付のみで建設が続けられている。したがって完成時期は遠い将来を考えられていたが、世界的に人気が出たために観光客の入場料が莫大となり、よって完成時期が近づいているというニュースを最近聞いた。熊本城については30余年前に復元計画が策定され実際に本丸御殿などが復元された。しかし、10年前の熊本地震で計画は頓挫し、今は熊本城復旧基本計画に移行している。これからもドゥオモやサグラダ・ファミリア教会を真似て、息の長いお城再建を図らなければならない。

2026年02月24日 春一番と春の一日

 21日(土)は確かに春一番が吹いたと思った。気象庁の発表には関係なく、私自身が家の玄関先でいつもとは違う少し暖かい突風を身に受けたのである。庭の白梅は満開を過ぎ、一輪ずつ見ると色あせて最盛期の可憐さは失せてしまった。暖かさを信じて、冬からこの日まで寒さから守っていたメダカの覆いを取り払い恐る恐る餌を与えてみた。20匹ほどのメダカは餌に食いついた。小さい体で見事に越冬してくれたのだ。

 翌日の日曜日はもう春本番といってよい天気、気温は20度を超えた。そこで最終日が近づいた小泉八雲展を観るために熊本博物館に。ちょうど熊本編が始まっているせいか朝から入場者が多い。意外と展示資料が多く見応えがあった。ちょっとびっくりしたのは、ヘルンさんの給料が月200円で高いと思っていたら、当時の第五高等学校の校長の加納治五郎は月1800円の高給取りだったということ。講道館を創設したほどの人だし、ヘルンさんも校長の英語力を褒めていたし、それなりの人物であったことは間違いないがこうも格差がある時代とは!?

 その後熊本城内の蚤の市を覗き、蕎麦猪口一個と屋台で昼食用の「パエリア」を購入。その足で谷尾崎の梅林公園に行くとちょうど梅まつりで大勢の人がいた。草むらに腰を下ろし、パエリアを食しながら梅見ごろを実感した。急いで向かった植木市では500円と値頃感のあるサボテンとおやつ用の梅が枝餅と焼き芋を買った。かくして充実し、なにか得した気分の春の一日になったのである。

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