芭蕉林通信(ブログ)

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2022年09月08日 根と翼

 最近のNHKの語学番組は、タレントがその国を旅したり語学力を高めていく様が紹介されたりして、昔の固い印象の番組とは様変わりしている。ある朝何気なくドイツ語の番組を見ていたら、文豪ゲーテの名言が紹介された。ゲーテと言えばいくつか思い出すことがある。

 ドイツの古都ハイデルベルグと熊本市は友好都市になっていることもあり、20年ほど前に視察団を結成して、ハイデルベルグからミュンヘンを経由しベルリンまで足を延ばしたことがある。廃城と化したハイデルベルグ城のたたずまいに感激していると、ガイドが晩年のゲーテがこの町に来て、若い女性に恋をしたあげく振られてしまったと説明してくれた。さすが「若きウェルテルの悩み」を書いた文豪らしい逸話だと感心したせいか、その後も「ファウスト」や「イタリア紀行」などを愛読した。

 そしてこの朝そのゲーテの名言に出会ったという次第なのであるが、その名言とは「子供には、根と翼を与えなさい」というもの。解説によると、根とは子供が安心して暮らせる家庭環境であり、翼とはいずれ家を出て自立する力であるとのことである。さすがに詩人でもあったゲーテは表現がうまいと感心した。50年ぶりに「若きウェルテルの悩み」を再読して、シャルロッテに会ってみたくなった。

2022年09月06日 はらぺこあおむしと盆栽

 今まで成功したことのない盆栽の世話。新型コロナのせいで家にいる時間が増えたおかげで、やっと盆栽の世話が行き届くようになった。面白いことに毎朝、毎晩水を遣り、雑草を抜いたりしていると盆栽に愛着まで感じるようになった。日向と日陰のバランスを考えて鉢の位置を変えたりもするのである。

 そうした努力と愛情の結果、苔は青々と輝き、クチナシの三光斑には若葉が芽生えた。ある朝のこと、ふと盆栽を見るとクチナシの葉があらかたなくなっていることに気が付いた。驚いて観察すると、昨夕までは影も形も見えなかったあおむしが一匹、むしゃむしゃと若葉を食べつくしているではないか。どこから来たのか不信に思いつつも途端に腹が立った。食べたいのならば、庭には他にもたくさんの葉っぱがあるではないかと。

 さなぎになり羽化すれば美しい蝶々になるかも知れないとは思ったものの、そのあおむしをひっぺがし、厳罰に処せんと道の真ん中に投げ捨てた。その後の運命は知らないが、一時の怒りは制御不能だったと言うしかない。痛々しくなったクチナシの盆栽は、その後の世話が良かったのかまた若葉が芽吹き、姿形を整えてくれたのは幸いだった。それにしても、たかが盆栽とはいうものの命あるものを守るのは簡単ではないと思わされた。

2022年08月09日 私の宗教観

 先日は新興宗教に半日間だけ入会した話をしたが、上京したての18歳にとっては良い薬になった。それ以来、宗教に関心を強めると同時に、いい加減な宗教者がいることも知り、一歩引いて考えるようになったからである。そして50年の月日が経ち、いつの間にか身辺には多様な神様や仏様が集まっている。

 老子、孔子の本はさしずめ道教や儒教に関するもの。アフガニスタンのガンダーラ佛。アステカの戦士像。ヒンズー教の女神像。日本は八百万の神の国だから、大黒天、観音像、聖徳太子像、舎利容器、密教仏具、アイヌのトーテムなどなど。キリスト教関係では聖母子像の絵。隠れキリシタンの鈴。エジプトで買ってきたアラーは偉大なりと書かれたカリグラフィーは偶像崇拝を禁じるイスラム教のもの。さらには貝葉に書かれたチベットの経典。我ながらなんと脈絡のないことだろう。

 とは言うものの、私はこの宇宙を創った偉大なるパワーの存在を信じている。その表しかたこそが民族の違いや歴史の流れの中で姿を変えて出現しているように思えるのである。だから脈絡がないのではなく皆が繋がっている。宗教間のいさかいなどはすべきではないし、いさかいをするのは宗教の名のもとで勢力を拡大しようとしているのではないかと疑いの目を持って眺めている。

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