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	 自分の年齢を自ら語るというのは、自慢か卑下か判断が難しいところです。私の場合は、23年前に亡くなった父の年齢と同じになるということが自分の年齢を気にしている由縁です。 
父の亡くなった歳に近づいて実感するのは、父が亡くなった時感じていたであろう心境の一端です。ゴルフが好きで休日には近くの山を歩いて体力維持に気を使っていた父が、病気の進行を知った時の驚きは想像するに余りあります。私にしても、この歳でもう不治の病ですと申告されたならば、心は千々に乱れるはずです。あまりに早い死だったと思います。 
父は残念であったろうし、悔しくもあったはずです。その父は今、熊本でも古い町並みが残っている唐人町近くに静かに眠っています。			 
				
	かくいう私にも確実に心境の変化があります。それは若い世代に事を託すお手伝いをしたいという思いです。 
トルコのノーベル文学賞受賞作家オルハン・パムクは、受賞式のスピーチで「父の鞄」について話ました。彼の著書「イスタンブール」を読むと、両親の不仲や父の事業の相次ぐ失敗などが克明に描写されており、それらがイスタンブールの憂愁と溶け込む様子がよくわかります。つまり、父と子の関係はそう簡単なものではなかったはずなのですが、オルハン・パムクは懐かしそうに父の思い出を語るのです。 
父と息子というのは大人になるに従って、男同士の複雑な関係になります。父は息子にいろいろと期待をしますが、息子は父に反発するようになります。反発は決して悪い訳ではなく、社会人として自立する通過儀礼の意味があります。父は息子に言葉で伝えるのではなく、体や行動で伝える方が良いように思えます。 
同じように、私の世代は自分よりも若い人や次の世代に、経験や志を伝えることが大事であり、使命であろうと思います。 
できれば父の年齢を超えて長生きするばかりではなく、父が果たせなかった夢や使命を父に代わって果たすことができればいいなと思っています。 
 
 
 
 			 
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