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2021年05月27日 見番(けんばん)があった頃の話
山本健吉著「俳句鑑賞歳時記」の夏・時候欄を読み始めてすぐに、「初夏(はつなつ)の乳房の筋の青さかな」という句が目に飛び込んできた。と同時に、約30年前熊本にまだ7〜8人の芸者さんが残っており、いくつかの歴史ある料亭が社交場であった時の思い出が俄然蘇って来た。もっとも芸者さんとはいっても、最高齢は80歳以上、若手でも60歳近くではあったから大先輩の方々ではあったが。 そうした芸者さんの中では若い方の一人、Yさんははきはきした元気の良い女性だった。そのYさんの思い出である。Yさんは芸者仕事だけではなく、夜はスナック経営をしており、ある時そこに仲間数人で遊びに行ったことがある。Yさんは一回り以上も若い我々に警戒感をなくしたのか、あるいはサービス精神を発揮したのか、突然に自分の乳房は歳の割には白く奇麗で青筋まで見える、見たいならば見せてやっても良いと宣(のたまわ)ったのである。 我々は酒の勢いもあり、一斉に見ると叫んだのだった。果たして、Yさんが着物からむき出しにして見せてくれた乳房は、大理石の如く白く血管が青い筋となって見えたのである。この話はもはや時効だと思いつつこうしてつぶやいているのだが、初夏(はつなつ)の乳房が名句になると言うのは、こうした体験はわれわれだけのものではなかったと思わせてくれるのに十分なのである。
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私の趣味の一つは美術館巡りである。これまで海外や国内で直に名画鑑賞できたのは良い思い出だ。一時はピカソにはまり伝記や画集を集めたりした。そして何よりも代表作のいくつかを現地で見ることができたのは幸運だった。スペインのマドリードでは「ゲルニカ」を、パリでは青の時代、バラ色の時代、キュビズムの時代、新古典主義時代の作品群を、そしてニューヨークでは「アビ二ョンの娘たち」を目の前にして感激に胸が震えた。 ある時近くに住むパリ帰りの洋画家のアトリエを訪ねたことがある。随分歳上の先生は、絵は鑑賞するもので自ら描かない方が良いよとアドバイスをくれた。しかし今思えば、一枚の絵を完成させるのに先生本人が悪戦苦闘していたという当時の事情があったのだ。何しろ奥さんがこの1年1枚の絵も完成させてないと嘆いていたぐらいだから。 そうして時が移るに従い、私もいつしか水彩画やイラストなどを描くようになった。旺盛な創作意欲の賜物というよりは無聊を慰めると言った方が正しい。自動二輪車や自動車のメーカーであるホンダの創業者本田宗一郎さんが会社引退後に始めたのが油絵である。ある時取材した伝記作家城山三郎さんが「本田さん、油絵は楽しいですか?」と質問した。声を落として耳元で答えたのは「やっぱり仕事が一番だな」。私も趣味は社会的活動とのバランスがあってこそ楽しめると思っている。
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ここ数年は春と秋には必ずと言っていいほど風邪を引き医者にかかっていた。発熱し鼻水が出るので2〜3日は我慢するが、それでも治らない時は行きつけの耳鼻咽頭科の診療所に出向くのである。鼻から薬剤を吸入し飲み薬を調薬してもらい、約一週間ぐらいで体調は元に戻っていた。 ところがコロナ禍による怪我の功名か、外出時にマスクをし手洗いやうがいを頻繁にしているせいか昨年から風邪とは無縁で過ごしている。発熱してコロナ感染を疑がわれるのも嫌なので、普段から体が冷えないように注意深くしていることも風邪を引かぬ一因かもしれない。日頃から衛生環境に留意しておけば風邪を引かなくて済むと気付かされた。 かつてと言っても約20年ぐらい前、常日頃からマスク着用をしている友人がいて用心深い人だなと感心していたことがある。頭脳明晰の人だから衛生観念を強く持っていたのだろうと思っていた。ただ人生の不条理さを感じたのは、その人が若くして不慮の事故で亡くなったことである。用心深いだけでは生きていけないと知らされた。今やコロナウィルスは変異を繰り返し、人の運命、あるいは宿命に挑戦状を叩きつけている。風邪とは比較にならぬコロナウィルスの脅威にはひとときも気を緩めるわけにいかないと改めて身構えている。
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