157件〜159件 (全 722件)
<前の3件
・・・
49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 ・・・
>次の3件
コロナ禍での大型連休が終わった。どこにも行けず家族以外とは誰とも会わない一週間だった。あまりにも暇なので、最後の日になると会社への出勤が楽しみになったぐらいである。若くて体が動く内に遠出をしようと考えて実行した、これまでの国内の旅・海外の旅が懐かしく思い出される。あの時に無理をしてでも行っておいて良かったと。 どこが一押しかと問われるならば、国内では琵琶湖周辺から熊野古道へのルートであろう。湖北・湖東を巡り、MIHOミュージアム、長谷寺、室生寺、高野山、熊野古道、熊野三山と日本の古層を探り堪能した旅。海外であれば、ピラミッドという巨大建造物とミイラが眠るエジプトが忘れ難い。ギザのピラミッド、ルクソールの神殿、ハトシェプスト葬祭殿、王家の谷、ナイル川の流れ、両岸に広がる耕地の緑などが目に焼き付いて離れない。 そしてアスワンにあるホテル「オールド・カタラクト・アスワン」の部屋こそが、私にとって世界で一番眺めの良い部屋であった。このホテルは1899年に英国人によって建てられたエキゾチックな雰囲気を持つラグジュアリーホテルであり、ミステリー作家であるアガサ・クリスティが宿泊し「ナイル殺人事件」を執筆した場所としても知られる。幸いにもパック旅行の宿泊先になったという幸運、そして宿泊したのが新築の「ニュー・カタラクト・アスワン」だったとはいえ、部屋からは素晴らしい眺めが悠久の時を経て眼前に広がっていたのである。ナイル川には帆を掲げたファルーカが浮かび、岸辺の砂漠には廃墟となった石積みが数多く見られた。乾いた空気は、地中海に注ぐナイル川が蛇行して流れる様を遠くまで見せていたのである。
|
この表題で書こうと思った時にふと心配になった。過去に同じことを書いたことはなかったかと。会社の朝礼や会議では毎回違うことを言うように努めている。それなりに話題を集めて話しているが、ときどき話したことや書いたことがごちゃごちゃになり頭が混乱するのである。もちろんメモ帳に控えてチェックするようにはしているが、それとても完璧とは言い難い。前置きはそれぐらいにして、思い切って今日の話題に挑戦してみよう。これはテニスのレッスンとゴルフ場での動画にまつわる話である。 最近のテニススクールはデジタル化しており、プレイぶりを動画撮影してコーチがその動画を見ながら指導してくれる。自動的に動画撮影されている場合もあり、その時は自分勝手に自分のプレイを確認できたりする。問題はその動画を見るたびに強く幻滅させられることである。思いの外下手なプレイぶりであり、少しも格好が良くない。格好良さで生きた来た身にはひどく応えるが、動画から欠点が見つかるという事実には驚くべきものがある。要は自分で自分が一番分らないという哲学的思想に陥ってしまうのである。これはゴルフでも全く同様で、動画の自分を見るとゴルフが下手な理由がよく分る。頭の中はマスターズで優勝した松山英樹だが、身体はバラバラという訳だ。 動画で何に気づいたかと言えば、もっとも悪い点はテニスでもゴルフでも肝心のボールをよく見ていないということである。動くボールと止まっているボールの違いはあるが、どちらにしてもボールから目が離れていればちゃんと当たるはずがない。名プレーヤーの動画や写真をチェックすると、彼らはボールがラケットやグルフクラブに当たるまでしっかり見ていることに感動する。そうこう考えていると、昔広島で新入社員時代を送っていた時、広島カープが初優勝したことを思い出した。外国選手のシェーンはバットの芯に目を描いていた。ということで今秘かに、テニスラケットとゴルフのパターにマスキングテープで目の印を施した。調子は上々、今度はゴルフクラブ全部にマスキングテープで目を印そうと企んでいる。果たして成果はどうか、わくわくドキドキしている。
|
馴染みの店でいろいろ雑多な物を見せてもらっていると、小さな手作りの硯が出て来た。木箱には、「遊履硯 東郭題」とあり、硯自体は縦8cm、横5cm、高さ1cmとまことに小振りな品である。東郭とは落合東郭(おちあいとうかく)のことで大正天皇の侍従を勤めた漢学者である。2万円と安くもあり迷わず買った。軽いので陶製のようでもあり、裏には本人のものと思われる漢詩が刻まれて味わい深い。明治天皇を侍従として支えた元田永孚(もとだえいふ)と合わせて、明治・大正と二代の天皇を支えたのが熊本出身というのは地元の誇りとして良い。 骨董は自分の金で買えと言われるが、買うことによって初めて知る事は多い。コトバンクによれば、落合東郭は1866年肥後の生まれ、東大を卒業後宮内庁に勤務していたが、のちに帰郷して五高、七高の教授を歴任し、明治43年に再度上京、大正天皇の侍従となったとある。その一方で漢詩人として作品を発表していた。であれば、硯の裏に刻まれたのは自身の漢詩に違いないが、意味がわからないのが残念である。せっかく出会ったその硯を活かすべく小道具を合わせてみた。小筆と墨、目薬入れに水、そしてそれらを芹沢_介の「風」文字の巾着袋に入れた。面白い手作りの携帯万年筆ができたと思った。 ところで、夏目漱石の娘婿氏が漱石の鏡子夫人と熊本へセンチメンタルジャーニーをした時の紀行文「ああ漱石山房」を読んでいると、新婚時代に住んでいた下宿先で落合東郭夫人に面会したとあるのを発見。落合東郭の帰郷が決まり、漱石と鏡子夫人は気に入っていた大江の家を出ざるを得なかったという事実があり、東郭の硯はまた一つ物語を加えてくれたのである。
|
157件〜159件 (全 722件)
<前の3件
・・・
49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 ・・・
>次の3件