芭蕉林通信(ブログ)

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2020年01月06日 「癌」という漢字

 日本人の平均寿命は年々伸びる傾向にあるが、世界では短くなっている国あるいは地域があるという報道があったのは今から10年前のこと。従って、今日では事情が違うとは思うが、当時の報道の概要は以下のようなものであった。寿命が短くなっているのは、アフリカ、ロシア、アメリカの三地域であり、それぞれでは飢餓、ウォッカの飲み過ぎ、肥満が原因。特にアメリカ中西部のある街では、歩く人たちの多くが男女を問わず相撲の小錦並みの体格なのに目を奪われた記憶がある。

 果たして今日の日本人の最大の死因は悪性新生物(ガン)であり、それに次いで心疾患(心臓)、脳血管疾患であるらしい。私自身は健康を維持するために努力しているつもりだが、体内では気がつかないうちに癌細胞が暗躍しているかと思うと気分が悪くなる。極真会を創設した大山倍達氏は人間ドックに年2回行っていたそうだが、結局肺がんにより72歳で死んだと知って愕然とした。牛殺しの逸話を持つ武芸の達人も癌には敗れたのだ。

 ところで、「癌」という漢字を分解すると、「品が山のようにあれば病気になる」と読める。役人はパーキンソンの法則が働き常に増加するという説があるが、会社組織も油断するとすぐに人や物が増えて収拾がつかなくなる。言わば成長ではなく膨張であり、会社存続自体が怪しくなる。会社の「癌」は、「捨てる」ことから始めて、必ず撲滅させなければならないと最近考えている。 (注)パーキンソンの法則 役人の数は、仕事の量とは無関係に増え続けるというもの。

2019年12月25日 老後に大切なのは「きょうよう」と「きょういく」

 初めから種明かしをすれば、「きょうよう」とは教養ではなく「今日も用がある」という意味であり、「きょういく」とは教育ではなく「今日も行く所がある」という意味である。会社の定年を迎えたり所属していた組織から自由になると、人間は途端にすることがなくなり会う人がいなくなる。そうなると自宅に引きこもりがちになるが、それでは配偶者が困る。配偶者とて自分だけの時間が必要なのだが、暇になった御仁はつい配偶者にかまってもらいたいのである。わし族(わしも付いて行く)、濡れ落ち葉族(掃き出そうとしても家から出ない)の誕生である。

 だからこそ退職した老後には今日の用事と行き場所が必要という訳である。それは趣味にのめり込むことなのか、はたまたボランティア活動に従事するのか、改めて料理教室に通うのか、野菜作りに挑戦するのか、ゴルフやテニスで汗を流すのかなどいろいろと選択肢があろう。頭と身体を動かすことは健康寿命を延ばすために必要だ。

 ところで、今日ビッグデータの時代とは言うものの、具体性がなく理解できない人が多いのではないか。私もその一人だが、NHKで長生きの要因を探す番組は興味深く、ビッグデータの活用事例としては出色の出来だと思った。膨大なデータの中から導き出された長生き関連因子は「図書館」だった。図書館に通うと、歩く・探す・頭を使うということから長生きに繋がると言うのである。一見関係のないものから重要な関連を見つけ出すビッグデータに、思いがけず健康の秘訣を教えてもらった。確かに図書館は「きょうよう」と「きょういく」を充たしている。私の場合は、本屋・古書店巡りをこれからも続けようと思う。

2019年12月17日 褒めること批判すること

 今持って苦手なことは他人を褒めることである。細かい事にこだわる癖があるのかも知れない。また褒めることは難しくもある。褒めるには相手が喜ぶことを見つけ出し、過不足なく褒めなければならない。過剰であれば褒め殺しとなるし、褒める時は真剣にならなければ誠意は伝わらない。褒める極意は本人ではなく、第三者にその評価を伝えることである。直接褒められるよりは、第三者からあなたは褒められていたよと伝えられた方がさらに嬉しいものであり、自分の評価自体が広く伝わっていく感覚を得られる。

 一方他人を批判するのは、自分を一段上にした行為だけに気持ちが良い。しかし、他人の悪口を聞かされた人はまったく同感ならいざ知らず、そうでもないのであれば苦痛でしかない。批判するあなた自身はどうなのかと聞きたくもなろう。悪口を言う極意は、本人に直接言うことである。そうであれば、それはアドバイスとなり、諫言であり、本人のためになるからである。ある本に書いてあってなるほどと思わされたのは、他人を批判する時の覚悟である。それは、日本刀で自らの胸を突き刺し、背中から突き出た部分で他人を刺すぐらいの覚悟を持てと言うものだが、かくも自らに厳しくあらねばならないのかと驚いた。

 対馬に行った時に対馬の領主であった宗家の菩提寺をお参りしたことがある。墓域に行く階段の手前にあったが石造りの諫言太鼓であった(一種の象徴であろうが)。殿様に意見を言いたいことがあれば、この諫言太鼓を叩いて知らせなさいというもので、諫言太鼓が鳴らない限りは世は太平に治まっているということであった。古代中国の皇帝も傍(かたわら)に諫言の士を置き、常に自分の言動をチェックさせていたという。それこそ命がけの諫言をしていたのだろうが、これもまた古代中国の知恵と言って良いだろう。

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