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高校の同窓会幹事から卒業50周年の行事案内をもらい、改めて月日の流れを感じた。思えば、これまで多くの組織に属し、学び、挫折し、目覚めて来たのである。もちろん、人との出会いと別れも数多くあった。「年々歳 々花同じく咲き、歳々年々人同じからず」という漢詩の一節がある。季節が巡る間にも、両親を含め懐かしい人、大事な人を何人も失ってきた。 ところで、我が同窓会には文化祭と称する行事があり、有志が芸術作品を持ち寄ることになっている。私は3年ぶり二度目の出展をすることにした。熟慮した結果、同級生の目を汚す訳にはいかないので、阿蘇山の色鉛筆画とシルクロードの写真集という無難な二品を選んだ。 果たして文化祭の当日は、思い思いの作品がジャンルを問わずに集合した感があり興味深かった。世話人の話では、私の作品ではシルクロードの写真集が評判が良かったそうで一安心した。この世に一冊だけの写真集は、旅の記憶を呼び覚ますために写真専用サイトで作ったものである。過去に10冊ほど作っているが、よくしたもので後になるほど編集がうまくなり写真集の完成度は高くなっている。あと数冊は写真集を作ってみたいと思っている。
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能の勉強を始めて早2年が経つ。原則月二回の個人レッスンだから回数だけは随分と稼いだ。とはいえ、室町時代に始まった奥深い芸能は大きな壁となって私の前に立ちはだかっていることには変わりがない。 この間熊本では、会を発足して能を普及する活動が始まるなど一般の関心を高めようとする動きが出て来たのは好ましい。よく知られていないが、熊本は加藤清正から細川家治政の長い期間、能楽が極めて盛んな所であったのだ。 2年間の練習の成果は確かに出ていることは出ている。仕舞いや謡の基本が少しは身に付いている実感はある。しかし、未だ先生の所作や発声を真似するのに精一杯であり、一人で舞う時には必死に思い出して再現しているに過ぎない。ある意思を持って行動することを「自ら」と言い、自然と動く境地を「自ずから」とするならば、私の場合は万事が日暮れて道遠しと言わざるを得ない。
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今「家捜し」と言っても、若い人はどれだけ知っているだろうか。その意味は住む家を捜すというのではなく、家の中をくまなく捜すということである。今回図らずも家捜しを経験することとなった。それは両親が住んでいた家を処分することになり、必要な品物、思い出の品物を捜す必要があったからである。 10年間空き家であった家は熊本地震で大きな被害を受けずに来たが、住人がいない家はいつの間にか物が溢れた家となっていた。親族が家の中を片付けてくれたのはありがたかった。私も家を覗きに行ったが、家の中に独り佇ずみながらここが積年の思い出の詰まった空間であるということを実感した。 一度は断念しようと思った家捜しだったが、個人的に必要と思う物を見つけ出す作業は根気がいった。それでも、父の日記や祖父の覚え帖など貴重な資料を救い出すことができた。さらに父の書斎で数冊の未見の本を手に入れることもできた。いずれ近い内に取り壊される両親の家ではあるが、仮にその姿を消したとしても、心の中には父、母そして祖母との楽しい記憶が永遠に残ると思った時、妙に安心した。
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