2020年05月01日 5月を迎えて
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熊本城に隣接している藤崎台球場の近くには、推定樹齢千年を数えるクスの木が7本あり、木の周りはいつも鬱蒼としている。以前から好きな句に、「楠(くすのき)千年 されど今年も 若葉なり」がある。人間も常にフレッシュであれ、青春であれと励まされる句だ。そういえば、熊本市内を囲む山々はいっとき様々な緑に彩られていたが、いつの間にか濃い緑に統一されてきた。ある人のエッセイに、京都の嵐山の緑の色を数えたら40種類もあったとか。私も数えようと試みたが、目がちかちかし始めて数えることができなかった。日本人は古来から色の微妙な違いを名前で言い表してきた。昔の日本人も5月の若葉に陶酔したのだろう。 5月になれば阿蘇の野焼きもあらかた済んだようだ。先日訪れた原野で見つけたのは野生のサクラソウだけではなかった。野焼きで焼けた大地には、焼けただれた木が立ち枯れしていたのだった。その一本の木が周りの新緑に対し、強いアクセントとして屹立していたのである。自然が作った無意識のアートは、まるで原野の監視人のごとく力強く立っていた。 |
2020年04月27日 原野で会った乙女
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それはそれとして、休日の一日阿蘇の原野でワラビ狩りをせんとて半日のドライブを決行した。言い訳をさせてもらえば、あくまでも誰も知らない、従って人との接触の恐れが全くない秘密の場所を目指したのである。連休中とはいえ阿蘇に向かう車は少なく、自粛要請の効果が上がっていることに感心した。果たして7〜8年ぶりに行った原野は昔の面影を色濃く残していた。 ここは私のファミリーの思い出が多く残っている場所であり、 晩春にしては冷たい風を体に受けながら急傾斜の山を降りて行った。ワラビ山を目指す途中に窪地がある。ある時期からこの窪地に咲いていた野生のサクラソウが見えなくなった。盗掘されたのかと心配したものだ。ところが、この窪地に野生のサクラソウが咲いていたのである。感激したことは言うまでもない。結局、ワラビ山へ行く道を忘れてしまいワラビの一本も取れなかったのだが、それよりも阿蘇の原野にひっそりと咲く可憐な乙女に会えて大満足したのである。 |
2020年04月24日 探し物の見つけ方
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今朝は、爪切り、銀行から下ろした現金、万年筆ケースなどが行方不明になった。結局爪切りは机の引き出しの奥から出てきた。現金は読もうとした本のページに挟んであった。万年筆ケースは出勤カバンの奥に納まっていた。 最近一番感激したのは、YouTubeを見ていた時、ずっと探していた歌が奇跡的に現れたことである。歌の日本語名は「愛はかげろうのように」。原題は「I’ve Never Been To Me」。この歌も無理に探さないで自然に見つかったものの一つだ。しかし今世界中の人が必死に探しているものがある。それが新型肺炎の治療法であり、新型肺炎のワクチンである。こればかりは見つからないままのんびり待つ訳には絶対にいかない人類の探し物と言える。 |