2016年09月20日 鷹の渡り
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我々も思いがけずに遠くまで来たのだから目的を果たさない訳にはいかない。すぐさま準備してきた双眼鏡を取り出し鷹探しを始める。ところが見慣れていないためか、なかなか見つけられない。野鳥の会メンバーの歓声を頼りに双眼鏡をその方向に向ける。しかしここでまた問題発生。私の倍率8倍の双眼鏡では、遠くの森や雲の中から湧き出すように出てくる鷹を見つけられないのだ。聞けば双眼鏡は倍率10倍は欲しいと言うことだが今となっては後の祭り。カメラに至っては、持参した200ミリでは到底鮮明な鷹の画像は撮り難く、闇雲に鷹が飛翔する当たりにレンズを向けてシャッターを押すばかり。すっかり気が落ち込んでしまった。 しかし良くしたもので、倍率の低い双眼鏡でも鷹を少しずつ見つける事ができるようになった。鷹の種類は、アカハラダカと言い大きさはハトぐらいと教えてもらったが、あまりにも遠いので大きさが分かる訳もない。ただ、雲井から湧き出るように現れた鷹が100羽を越える集団となり、渡りを始めたのを見た時にはさすがに感動した。 鷹の渡りは俳句の季語となっている。鳥の渡りの内でも、鷹となるとその雄々しさから人気が高いようだ。その鷹達は日本を出て1万キロの旅をしてインドネシアやボルネオにまで行くという。帰りは中国大陸を北上し朝鮮半島を経て日本にたどり着く。鷹はなんと壮大な旅を敢行しているのか。鷹の渡りを目撃するという素晴らしい体験ができた一日であった。 |
2016年09月12日 随兵寒合(ずいびょうがんや)
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若い人と時候の挨拶をしていて、「やっと涼しくなりましたね」と言われたので、つい「随兵寒合だものね」と答えたら、全く分かってもらえなかった。言葉は生き物だから、使用されなければ死語となっていく。今日まで地球上で数知れない言語が使われなくなり、忘れられていったことを思う。言葉がなくなるということは固有の文化も同時に失われるということだ。 地域の特徴ある風景がなくなるように、地域固有の美しい言葉がなくなるのは悲しいことだ。こういう私にしても、東京でしばし生活したおかげで日頃は標準語で話している。これからはできるだけ方言を使い、歴史的文化的な背景のある言葉を若者に伝えていきたい。 |
2016年09月06日 バンコックの土産話
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バンコックは広い平野が極端なほどの低地のため、2011年の大水害で日本を含む多くの企業が洪水の被害にあっている。今回は水産加工品を全量日本へ輸出している合弁企業を訪問した。驚いたのは、作業員の9割がミャンマーからの出稼ぎ労働者であり、最低日給が300バーツ(日本円換算で約900円強)という点である。現時点では、むしろ中国よりも人件費が割安になっていないかという疑問が起こった。
今回は団体旅行のために、トム・シンプソン宅や骨董街に行けなかったのは残念だったが、象に初乗りすることができたのは良い思い出となった。 |