2016年12月13日 備えよ、常に
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快調にバイクを飛ばし、予定通りに熊本新港に到着。いつもはフェリーで島原に渡る時に来る港である。物珍しさも手伝って、バイクを漕いで新港一周を試みる。遠くにはうっすらと月がかかり、その下には阿蘇が遠望できる。阿蘇の中岳からは白い噴煙が上がっている。見晴らし抜群である。港を一周してみると、野鳥観察の施設、複数のリサイクルセンター、海苔を収穫する大型漁船が停泊する漁港など多種多様なものが港を形成しているのに初めて気が付いた。やはりバイクというスローな乗り物で来たおかげである。 そうこうする内に太陽は傾き、時刻は4時、そろそろ帰宅する時間である。新港と陸地を繋ぐ長い橋を快調に飛ばしていると急にバイクの変調に気がついた。まさかの後輪パンクである。タイヤのパンク修理の道具もなければ空気ポンプもない。一気にパニックに陥った。パンクしたバイクを押して自宅に帰ろうと決心したが、日没との競争である。しかし、道半ばにして太陽は沈み、闇が広がると同時に気温は一気に低下。かつて経験した低体温症の恐怖が襲ってくる。風が強まり体感温度は急速に低下する。何度も心が挫けそうになるが、こうなったのも自己責任である。まさかの事態を想定して準備を怠った罰である。それにしても寒さが厳しく、疲れた身体に鞭打ってがむしゃらに走ったり歩いたりを繰り返す。これはもう、酷寒の地で男が遭難する小説を書いたジャック・ロンドンの世界と酷似していると思った。 かくして挫けそうな心を励ましながら午後6時に帰宅できた時の安堵感は大きかった。何かしら、企業経営でも通用する教訓を得た気になった。私が小学生の時にはボーイスカウトだったが、その時の合言葉「そなえよ つねに」をすっかり忘れていたようだ。 |
2016年12月05日 ミューズ(知の女神)の存在
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さて本の整理をしている内に、未だ読んでない本が相当あることに気がついた。その中の一冊に、三島由紀夫の若い時の恋愛を取り上げた「ヒタメン」という本があり、今回は一気呵成に読了した。それほどの面白かったのである。三島由紀夫が30歳頃に出会った19歳の女性との3年間に亘る恋は、俗っぽく言えば灼熱の恋であった。何しろ3年間にほぼ毎日会い、私が換算したところでは年間5千万円ほどのデート費用を費消したのだから常識外である。それに答えるかの様に、彼女も一日として同じ着物を着ることはなかったというのだからもう驚愕しかない。それらができた背景・事情も興味深いものがあった。そして、三島由紀夫の傑作はその恋愛の期間に集中して生み出されたのである。二人が別れた後に三島由紀夫は別の女性と結婚するのだが、作家としては不幸な結婚だったようだ。つまり、それからの作品はおよそ傑作とは言えないものばかりだったからである。 そうした事情を知れば、別れた彼女こそが三島由紀夫におけるミューズであったことが分かる。彼女から触発され、作品の材料を得て、三島由紀夫は面白いように筆が走る時代を迎えたのである。そこで思い出すのが、画家ダリにとってのミューズであったガラである。ダリも最愛の妻ガラが死んだことにより芸術を生み出す力を突然失ったのだから。そして、芸術家でない私たち男にも人生のミューズが必要であると思う今日この頃である。 |
2016年12月01日 今年の師走
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私にとっても愛着があり、懐かしい人達がいた地域や店が今なお復興できずに苦しんでいる。関係者の人達は、挫ける気持ちに負けることなく、復興の道を探っていただきたい。貴重な歴史的、文化的遺産をこれ以上失なくたくないのだ。 ささやかな試みとして、関連する地場食品メーカーから「熊本城復興祈念カレー」を発売することにした。一個売れる度に熊本市に50円を寄付しようと思っている。自分の仕事を通じて熊本地震からの復興活動に参画できれば、これ以上の幸せはない。きっと全国の人達から多くの善意が届けられると信じている。 |