芭蕉林通信(ブログ)

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2016年05月23日 楠若葉きみ植えませば肥後の野に清らに立ちてをとめら歌ふ

 今回の地震は余震が多く、すでに震度1以上が1400回を越えました。毎日会社や自宅が揺れる度に、これは又本震ではないかと疑心暗鬼になるのが通例となっています。そうした状況下で思いついたのが、地震と女性には共通点があるということです。それは、「地震と女性はなかなかホンシンが分からない」ということです。もっともこれは男の理屈ですから、女性からしたら「地震と男性はなかなかホンシンが分からない」と言っても差し支えないと思います。それにしても周りの人に披露すると面白い反応がありました。「地震と女性はオコルと怖い」、「地震と女性は急にオコル」。  
さて、地震を経験して変わったこととしては、物に対する執着心が薄れたことです。大事にしていた物が壊れたり傷ついたりすれば、一種諦めの境地となり、命あっての物種と思うしかありません。また、無一物無尽蔵などと嘯(うそぶ)いたりして、できるだけ物を持たないのが豊かなのではないかと思ったりしています。つまり、物がなければ心配することもないのですから。

 そうした日々を送る中で身辺の保管資料をも片付け始めたのは、世界で300万部が売れ大ベストセラーとなった近藤麻理恵さんの「人生がときめく方づけの魔法」を本棚から見つけたからです。ある一節には、「書類は全捨てが基本」と書いてあります。そこで俄然やる気を出して書類の整理を始めたという訳です。  
整理している内に、一冊の手帳に書き留めていた美智子妃殿下の和歌を発見しました。美智子皇后ではなく美智子妃殿下であるのは、歌が昭和62年の歌会始のものであり、昭和天皇が在位していらしゃった時のものだからです。熊本を詠った歌に感激した私が思わず書き留めていたに違いありません。そして今地震の被害に涙を流す熊本県民の心を慰めるようなまさに清らかな歌であることに感激しました。楠若葉と言えば、熊本の県木である楠が新芽を出す5月そのものでもあるのです。

楠若葉 きみ植えませば 肥後の野に 清らに立ちて をとめら歌ふ
妃殿下

 さらに調べてみますと、昭和60年5月12日には全国植樹祭が熊本で開催され昭和天皇がご来臨されています。きっと当時29歳の美智子妃殿下はその時の情景を詠われたに違いありません。  
その全国植樹祭があった時の熊本県知事は細川護煕さんでした。植樹祭のしばらく後に細川知事に会った際、知事から直接に昭和天皇のエピソードを聞いたことがあります。細川知事が全国植樹祭の開催された阿蘇の会場を案内された時、次のような会話があったそうです。
細川知事 「陛下、今日は天気が良くよろしゅうございました。」
昭和天皇 「細川、ヨナが振って皆は苦労しているのではないか?」
ヨナとは火山灰のことで、天皇はヨナが農作物に降り注ぎ農作物をダメにしているのではないかと心配されたのです。細川知事はそうしたことに気づかなかったことを恥ずかしく思うと同時に、天皇はさすがに民の生活のことまで常に考えていらっしゃるのだと感激したそうです。
今回も熊本地震に対して、天皇皇后両陛下が高齢を押して熊本にまで脚を運び被災者を慰労してくれましたのは、天皇家に脈々として伝わる国民を想う気持ちから出たものとすんなり納得できたのです。

2016年05月13日 本震の記憶

 余震に怯えながらも1日が過ぎ、早く寝ようと11時過ぎにはベッドに入った。いつしか眠りについた4月16日、日付けの変わった深夜1時25分、突然の強い揺れが地面から突き上げるように起こり愕然とし一瞬で恐怖に陥った。極めて強い揺れは僅か15秒ぐらいだったか。停電のため、暗闇の中で何が起こったか分からない。必死で懐中電灯を探すが見つからない。やっと探した懐中電灯の光で周りを調べたら、聖徳太子の木像始めベッドサイドの置物は全て落下。よく落下物が頭に当たらなかったものだとほっとする。 書斎に行くと、再度の激震で目も当てられない惨状。前日に割れそうな物は棚から下ろしていたものの予想に反して今度は本類が大量に落下している。大事にしていた陶製のキューピーは無惨にも破壊され、愛用の硯にはキズがつくなど被害は一挙に拡大した。晩酌の友である盃や徳利は無事でほっとしたが、玄関に置いていた星野焼の壺は残念ながら割れていた。

 家を出ると、深夜2時近くにもかかわらず道路に近所の人たちが不安げに集まっている。余震がおさまりつつあると思っていただけに、桁外れの本震に皆のショックは隠せない。車で避難するという人がいたので、我が家も万が一に備えて駐車場のシャッターを開けようとするが、電動式のために停電で開かない。手動で開けようと懐中電灯の光で必死に操作するがどうしても開けられない。諦めかけた時に通電。急ぎシャッターを開けた。深夜テレビは一斉に大地震の発生を報道。後で分かったが、今回の地震はマグニチュード7.3 震度7でこれが本震という。 被害の全容は朝になってから徐々に明らかになったが、被害の甚大さに改めて衝撃を受ける。活断層が通っている益城町や南阿蘇村に被害が集中している。ショックだったのは、前震で痛んでいた熊本城の天守閣の瓦がすっかり剝落したばかりでなく、長塀は倒壊、重要文化財の宇土櫓の続き櫓や他の多くの櫓も崩壊。ジェーンズ邸も完全に崩壊した。阿蘇では土砂崩落で阿蘇大橋がなくなり、57号線は寸断した。阿蘇神社の楼門、拝殿も倒壊。死者は41人を超え、余震回数は400回を越えた。被害はどこまで、いつまで続くのか不安がつのる。 

 報道が伝えるには前震が日奈久断層だったのに対し、本震は布田川断層であること、そしてその延長線上に南阿蘇、大分があることなどである。この本震は前震の16倍のエネルギーがあるというから恐ろしい。 南阿蘇では、地獄温泉清風荘で51人が孤立し、自衛隊のヘリコプターで救出された。その近くにある山口旅館では滝の湯が崩れ落ちたというが、大好きな露天風呂だっただけに信じたくもない。 南阿蘇に自宅を新設したばかりの一家が気になり、やっと繋がった電話では一家は道の駅に避難し車中泊したと言うのでとりあえず安心した。テレビ画面には阿蘇大橋の滑落や火の鳥温泉の土砂崩れが繰り返し出てくるので息を飲む。 これは悪夢であって欲しいと思うが、現実に目を背ける訳にはいかない。これから1週間の予定は全てキャンセルする。ただ、今のところ自宅は電気、水(後に断水)、プロパンガスがあるのは有り難い。災害の時にはトイレが深刻な問題だと指摘した大阪のコンサルタントの先生のアドバイスが身に染みる。

2016年05月06日 地震予測マップ

 7年ほど前に、行きつけの古本屋で何気なく買った本がナショナル・ジオグラフィックの2005年1月号でした。それは「阪神・淡路大震災から10年 震災の教訓」という特集記事に興味を持ったからです。1995年1月17日午前5時46分に起こったこの地震では、死者数6433人、負傷者4万3729人、家屋の全壊・半壊24万8412棟に及ぶ大惨事となったのです。生々しい被害状況の写真を繰りながらふと目を留めたのが58〜59ページに掲載されている地震予想マップでした。

 このマップは政府の地震調査研究推進本部・地震調査委員会が発表している長期評価をまとめた図です。マップ上の数値は、地震の規模(マグニチュード=M)と30年以内の発生確率を示すとあります。このマップ上には阪神・淡路大震災を引き起こした活断層の表示が見当たりませんので、当時はこの地域では地震の可能性が低いとされていたのではないかと想像できます。さらに注目したのが三陸沖合に広がる地震の震源地です。マップには、宮城県沖M7.5 99%、三陸沖南部海溝寄りM7.7 70〜80%、三陸沖から房総沖の海溝寄りM8.2 20%と今後起こる可能性の高い地域を明示してあります。これを見てまさに2011年3月11日午後2時46分に起こったマグニチュード9.0の東日本大震災を予見していたと思ったのでした。

 さらにマップには南関東M6.7〜7.2 70% 東海M8 いつ起きてもおかしくない、とあり危険度が極めて高い予測値となっています。一方九州では布田川・日奈久断層帯(中部)M7.5 〜6%の表示のみです。このマップを初めて見た時は、発生確率や日頃の報道からして、次回大地震が起こるとすればそれは関東方面であろうと思ったのは当然のことです。しかし現実には、確率的には低い九州で大地震が発生したのです。大学時代に統計学を学んだ記憶がかすかに残っていますが、確率というのは高い順に起こるとは限らないということを教えてもらった気がします。  現在は気象庁により、より詳細は地震予測マップが発表されているようですが、私に取ってはいささかアバウトなこのマップの方が概略であるからこそ正確なのではないかと毎日眺めながら考えています。

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