芭蕉林通信(ブログ)

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2016年08月09日 幼児の天才

 ピカソのキュービズム時代の絵は、一見すると自由奔放、大胆なデフォルメ、常識に捕われない視点、丸や三角など幾何学文様などが見て取られ、まるで純粋無垢な幼児が描いたかのようだ。ピカソ好きの私は海外に行った時は、何をさておいてもピカソ作品を見ることを優先させてきた。彼は長生きをした上に生涯に亘って絵や陶芸、彫刻に挑戦し続けたので多作の画家と言え、そのために世界中で彼の作品が収蔵されている。  実見して今なお記憶に残る作品は、パリのピカソ美術館にある青の時代や赤の時代の初期の作品群であり、さらにはスペインのソフィア王妃芸術センターの「ゲルニカ」、ニューヨーク近代美術館の「アビニヨンの娘たち」などだ。  日本における素朴な絵としては、安西水丸さんのイラストに関心を持っている。作家の村上春樹さんの本を数多く装丁したことでも有名なイラストレーターだ。素人が自由闊達に描くフォークアートにも興味があり、アメリカに行った時はインディアンやイヌイットが作った物を少し買い集めたりもした。

 幼い子供の絵を見るのも好きである。無邪気でさしたる技術もないままに、はっと驚く絵を描くことがあるからである。天才的なひらめきを感じることもある(少し大げさだが)。ここに掲載した絵は5才の子供の絵だが、テレビのニュース番組を見た後、北朝鮮の兵士が行進している絵を描いたと言ったのには驚いた。単純な線が躍動している兵士の姿をきちんと捉えている。人間の才能は間違いなく、この幼児時代に飛躍を遂げると言ったのは数学者の岡潔さんだ。ということで、一瞬の天才のひらめきが垣間見える幼児の作品を手元に残しては、仕事の合間にしばしば見惚れているのである。


2016年08月01日 人生は80才から。

 先月市内のホテルで「ガンバレ熊本。人生は80才から。」というパーティが約200人を集めて開催された。主催したのは一昨年傘寿の会を開いて地元の80歳を80人以上集めた人だから、その企画力と実行力には改めて脱帽した。しかも目玉として80年前に生産されたワイン、つまり1936年ものワインを10本提供すると言う。食い意地の張った私はそのワインを急に飲みたくなって参加したのである。彼の日頃から口癖は「これからの人生は思い出づくり」である。最愛の奥様を失くしているにも関わらず、元気で前向きな姿勢にはいつも圧倒され、真似をしたいものだといつも思っている。

 ところでつい最近日本人の平均寿命が発表されたが、男性はまさにほぼ80歳である。80歳を人生の到達点とするのではなく、人生のスタート地点とする着眼点は実に素晴らしい。そういえば一昨年の傘寿の会では、80歳参加者を代表して、ある医師が「皆さん、傘寿の次は米寿、その次は白寿、その次は大還暦です。大還暦とは還暦の2倍、つまり120歳。大還暦までは後40年間もありますから、大いに人生を楽しみましょう。」と挨拶されたのには度肝を抜かれた。

 人生は山あり谷ありとはよく言う台詞だが、逆境を乗り切る一つの手段がプラス発想である。ポジティブ思考といってもよく、経営者はネアカでなければならない。年齢にしてもポジティブ思考で捉えるのが良いのであろう。  それにしてもお年寄りは元気、若者はおとなしいというのは困ったものである。そして、肝心の1936年産のワインは甘く美味しく熟成した味がした。味覚の思い出が一つできた。

2016年07月27日 好漢自重せよ

 中学生時代に一緒に英語を勉強していた後輩のN君が突然死亡した。まだ64歳という働き盛りの企業トップの死を聞いた時には心底驚いた。そして生前のN君の仕事ぶりを思い出している内に、やはり無理をしていたんだなと思い当たる節があるのだった。  私は還暦を過ぎた時に内心思う所が会って、社外の仕事のほとんどと辞めさせてもらった。例外はないということにして、無理やり辞めさせてもらった役職もいくつかあった。それに比べてN君は還暦を迎えた頃になり俄然社外活動に目覚めたかのように、多くの要職を受けたのである。他人が敬遠するような多忙かつ責任重大な役割を同時に複数掛け持ちするN君には目を見張る思いがしていたし、同時に心配もしていた。と言うのはN君が自ら私的な勉強会で明かしたことだが、5年前に根を詰めて散歩とか運動とかをしている時に突然心筋梗塞(あるいは脳梗塞だったか)を起こし、危うく一命を取り留めるという事実があったからである。そしてN君はその無謀な運動をひどく反省していたのだった。

 ちょうど3ヶ月前、市内の本屋でN君に偶然に出会った時には「社外の仕事を多く引き受けて大丈夫か?」と声を掛けた。その時は、いつもの爽やかな笑みを浮かべ「大丈夫ですよ。」とN君は短く答えたのである。しかしもし、あの時に少しでも長く話しをすることができたならば、N君には5年前の病気を思い出させ、「好漢自重せよ」という言葉を投げかけることができたのにと今は残念な気がしてならない。  好漢とは爽やかな好ましい男を指すが、自重とはつい調子に乗るとやり過ぎたり、話し過ぎたりすることを戒めた言葉である。亡父が生前に私に投げかけた言葉でもあった。その亡父も63歳で死んだことを思うと、経営者が自らの健康を維持することの難しさを感じる。「好漢自重せよ」というのは、今の自分にも十分に当てはまる真実であると思う。ただ実行はすこぶる難しい。  今はただ、地域のために命を削ってまで頑張ってくれたN君の冥福を祈るだけである。


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