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私は銀行員であった割にはお金哲学は持ち合わせていない。当時は銀行にある金は商品であると思った程度だ。人生経験が大事だと思うのは、金融機関の先輩が金を貯めるには金を使わない事だと教えてくれたからだ。金を貯めようとしても溜まらないというのは心理学の世界と言えよう。 美空ひばりの歌「王将」も同様である。「勝とうと思うな、思えば負けよ。」という歌詞は妙に説得力がある。弱者の戦う論理も勝つことはできないから負けまいとするしかない。または、まったく違う土俵で戦うかである。変化激しい時代は、むしろ後者が正解かも知れない。 某大手食品メーカーの社長は瀬島隆三さんの私的勉強会に出ていた。そこで瀬島さんから言われたのが、成長せんと背伸びして肝心の存在を危うくする企業は愚の骨頂であると。存在を確かにすることが第一義で、そうすれば自然に成長の機会が訪れると説明されたのである。そこでモンゴル帝国の陰の立役者、耶律楚材の言葉を思い出した。「一利を興すは、一害の除くに如かず」とはこれまた引き算の論理なのである。
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中国の爆買い現象がEC市場を急拡大させているが、日本国内ではモノからコト消費へ移行していると言われている。しかし、コト消費とは一体何なのかイメージが今いち掴めないというのが本音だった。そうした時、地元百貨店をぶらぶらしていてハタッと思い当たった。 それはカメラショップに行った時にカメラ教室の案内をもらったのである。また婦人服売り場ではフャッションショーに出くわした。さらには、クラシックサロンというオーディオルームではLPレコードの奥深い音色を味わうことができた。これらはモノを直接に売るのではなく、モノに付随する楽しみ方や時間の過ごし方、モノの活用法を教えてくれる行為であり、それ自体が豊かな経験となるのである。 高齢者にとっては、積年の買い物により家はモノで溢れている。最近は、ゴミを出すのにも選別という手間がかかる。モノにはうんざりしている年齢層にとっては、モノよりもコト消費の方が感動を得易いのであろう。今晩は熊本までわざわざ来てくれるゲルギエフの音楽会に行ってみようと思っている。
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家人が古い箱の中から2冊の現金出納帳を見出した。それは約50年前、私が19歳で上京し仕送り生活した時の記録である。下手だが几帳面な字で綴った一行一行が、当時の物価と学生生活の一端を垣間見せてくれ興味深い。 当時の仕送りは月3万円であり、アルバイトをしない決意の身では100円でもないがしろにはできなかった。で、ある一日の出費は以下のごとくである。
某月某日
牛乳 35円
y君へ貸す 50円
夕食 150円
映画 100円
電車代 70円 なんとも慎ましい生活ぶりである。現金出納帳を眺めてみると、文化活動の出費としては本代、映画チケット代、ごく稀にディスコ代・ダンパ代などがある。共産主義関係の本を購入しているのは時勢からだろう。大学紛争の時代が懐かしくもまた苦々しく思い出される支出だ。
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