2017年12月18日 バンジージャンプの値段
時々社員と昼食を一緒に食べるが、会話の中から若者の生態が分かることがある。先日は休暇の過ごし方を話題にしていると、一人が五木村でバンジージャンプをしたと話し出した。五木村は五木の子守唄で有名だが、熊本市内から狭い山道を離合車が来ないことを祈りながら運転しなければならない秘境である。したがって山は深く、清流川辺川を見下ろすバンジージャンプの高さは66mあるという。 高所恐怖症を自認する私としてはバンジージャンプをするなど狂気の沙汰としか思えない。本人に怖くなかったのかと質問すると、跳ぶ前は怖いけれど跳んだら爽快だったと言うが、あっそうかいと笑うしかなかった。 そこで幾ら賞金を出してくれたならばバンジージャンプをするかという話になった。私ならば仮に1千万円をくれると言ってもジャンプしたくはない。気絶して心臓麻痺を起こしたならば、賞金を使えないではないかと思う。父が戦前海軍兵学校で訓練していた時に、軍艦の舳先から飛び降りろと言われた時ほど嫌なことはなかったという話を思い出した。
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2017年12月11日 お金を貯めるには
私は銀行員であった割にはお金哲学は持ち合わせていない。当時は銀行にある金は商品であると思った程度だ。人生経験が大事だと思うのは、金融機関の先輩が金を貯めるには金を使わない事だと教えてくれたからだ。金を貯めようとしても溜まらないというのは心理学の世界と言えよう。 美空ひばりの歌「王将」も同様である。「勝とうと思うな、思えば負けよ。」という歌詞は妙に説得力がある。弱者の戦う論理も勝つことはできないから負けまいとするしかない。または、まったく違う土俵で戦うかである。変化激しい時代は、むしろ後者が正解かも知れない。 某大手食品メーカーの社長は瀬島隆三さんの私的勉強会に出ていた。そこで瀬島さんから言われたのが、成長せんと背伸びして肝心の存在を危うくする企業は愚の骨頂であると。存在を確かにすることが第一義で、そうすれば自然に成長の機会が訪れると説明されたのである。そこでモンゴル帝国の陰の立役者、耶律楚材の言葉を思い出した。「一利を興すは、一害の除くに如かず」とはこれまた引き算の論理なのである。
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2017年12月04日 モノからコト消費へ
中国の爆買い現象がEC市場を急拡大させているが、日本国内ではモノからコト消費へ移行していると言われている。しかし、コト消費とは一体何なのかイメージが今いち掴めないというのが本音だった。そうした時、地元百貨店をぶらぶらしていてハタッと思い当たった。 それはカメラショップに行った時にカメラ教室の案内をもらったのである。また婦人服売り場ではフャッションショーに出くわした。さらには、クラシックサロンというオーディオルームではLPレコードの奥深い音色を味わうことができた。これらはモノを直接に売るのではなく、モノに付随する楽しみ方や時間の過ごし方、モノの活用法を教えてくれる行為であり、それ自体が豊かな経験となるのである。 高齢者にとっては、積年の買い物により家はモノで溢れている。最近は、ゴミを出すのにも選別という手間がかかる。モノにはうんざりしている年齢層にとっては、モノよりもコト消費の方が感動を得易いのであろう。今晩は熊本までわざわざ来てくれるゲルギエフの音楽会に行ってみようと思っている。
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