2014年02月17日 大雪の東京そして春浅き故郷
![]() 上野のコルビジェが設計した国立西洋美術館の前庭にある、ロダン作のカレーの市民像は雪をかぶって寒そうでした。 ![]() 東京は素晴らしい経済・文化都市ではありますが、これからは災害にも強い都市になってほしいものです。 |
2014年02月10日 気になっていた家
![]() 先日、稲荷神社にお参りに行ったついでに、歩いて現地まで行ってみました。好きなことわざに、「犬も歩けば棒にあたる」がありますが、確かに新しい発見がいろいろとありました。その一つが稲荷神社の前にある創業130年を誇る豆腐田楽の店の発見です。正確に言うと、約30年ぶりにその店の存在を思い出したという訳です。おかげで、それから日をおかず店を訪ね、美味しい田楽の味を堪能することができました。 もう一つの発見は、前回ご紹介した西南戦争に関する史跡で、海軍水平7人の慰霊塔です。明治10年2月21日、官軍の軍艦が上陸をしようとして薩摩軍と戦闘状態になり、官軍の兵士7人が死亡。これが西南戦争の幕開けとなったと説明文にありました。熊本でもこの慰霊塔を知っている人は僅かなことでしょう。 さて、くだんの家は近づいて見ると、住む人のいない廃屋でした。しかし、車窓から見て気になっていた通りに、何とも言えない良い雰囲気で、朽ち果てた木造部分と変色したトタン板が一種のモダンアートのような趣です。 おまけに廃屋の裏側には、隣の寺の納骨堂が縦長のピラミッド型に鎮座しており、古きものと新しきものが渾然と一体化しているのには感心しました。いずれは壊される家ではありますが、最後の輝きを私に示してくれている気がいたしました。 そう言えば、九州新幹線の工事により、多くの踏切が姿を消しましたが、あの時写真に撮って残しておけば良かったと今さらながら後悔しています。 |
2014年02月03日 西南戦争の絵図
![]() 何しろ、熊本は日本最後の内戦と言われる西南戦争の激戦の地となったのですから。私の執務室には、去年からこの西南戦争の絵図を壁に貼ってきました。これは、郷土の歴史を研究する団体「地名研究会」の世話役からいいただいたものですが、熊本城下が焦土となった中、官軍と薩摩軍との間で激戦となった段山(だにやま)の戦いが大変リアルに描いてあるのです。実は、一面焼け野原になった城下の一隅に先祖が創業した問屋「かめや」があったはずですし、その焼け跡から再起したことが想像できるのです。 こうした絵図は長年熊本に住みながら初めて目にしたものですが、未だ焼け残っている天守閣や今では藤崎台の千年杉として市民の保護活動の対象となっている木の群れが遠望できるのです。 最近読んだ本の一節に、「歴史に目を覆う人は未来について盲目である」とありました。久しく読んでいない、石光真清の「城下の人」4部作を再読する必要がありそうです。 |