芭蕉林通信(ブログ)

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2019年05月13日 梅の木に入る

 令和元年は庭の果樹によく実がついた。まずさくらんぼが大量だった(もっともこの時は平成最後の月)。日頃世話をする訳ではないので、天然そのもののさくらんぼである。実を摘みながら食べながら紅く熟した実を採るのは楽しい。もっとも、食べきれないぐらいに採れて最後には家人にも見捨てられたのは誤算だった。

 昨日は老梅の実を採集した。実の太り具合を確かめた上、高い脚立に乗って採集したが頭から落ちたらば怪我は免れない。それでも脚立の上で手足を伸ばせば届く梅の実を逃す訳にはいかず、相当アクロバット的な格好になったりした。老梅の幹の肌は毛羽立ち小枝は尖り、両手が傷だらけになったのにはまいった。実は梅の葉と同じ色で見分けるのが難しい。さらに、梢には蜂が巣作りに励んでいる。それでも笊いっぱいに梅の実が採れたのは自分にとっては大収穫だった。

 梅の木に分け入ってみると、今までは見えなかったことに気づく。蜂の巣がそうだし、庭のヤマボウシには白い花が咲いている。ヤマボウシはやや高木で梢に花を咲かせているので、下からは気づかなかった。さらに、桜の木に大量の毛虫が発生していることに気づき、新聞紙に火を付け一気に焼却した。亡き祖父が桜についた毛虫を焼いている場面を俳句にしていたことをふと思い出した。「木を見て、森を見ず」ということわざがあるが、木を見ることも意外と難しいなあと感じる1日となった。

2019年05月09日 想いでの人々(その6 O日本興行銀行主任部員)

 大学を卒業して就職したのが日本興行銀行だ。1973年に入行したがすべてが異常だった。つまり、学生運動の結果東大の卒業生がいない上に高度経済成長が続き学生の売り手市場は極り、内定通知をもらったのは大学3年時の12月だった。当時の有様を「青田刈り」ならぬ「種もみ刈り」と称するマスコミがあったぐらいだ。しかも、私の大学は1年時は学生のストにより休講だったので、実質1年半の授業で就職試験に臨んだのである。

 今でも忘れられないのは銀行の幹部による最終面接でのこと。面接官の一人から「三面等価の原則について説明して」と言われどっと汗が吹き出し、しどろもどろに返答した。見かねた別の面接官から「テニス部だから練習に忙しかったのかな」と助け舟を出されたが、てっきり就職は無理と思った。ところが内定をもらったのだから世の中は分からない。当時着ていた学ランが好印象を与えたのかななどと勝手に想像した。

 さて、入行して8年目に仕えたのが産業調査部のO主任部員(一般的には課長職)だ。カミソリと噂されるぐらいだったので、頭は切れ、仕事には大変厳しかった。毎週個人面接がありテーマの確認があった。日経新聞に掲載するため「セメント産業の燃料転換」について3千字程度の原稿を書いた時は、O主任部員に徹底的に切り刻まれ、返って来た原稿を見ると「石炭」の2文字以外は全部赤線が引かれていた。彼が東京都庁で講演する際は、資料作りのため二日の徹夜作業を強いられた。そのO主任部員が全国銀行13行が集まった市銀連の委員長へ出向が決まった時の話である。当時の懸案は銀行の週休2日制の導入であったが、大蔵省・銀行・組合の三者調整が難航していた。そこに乗り込んだO委員長は、「仕事は昼3・夜7で進める」と言いながら、見事に銀行の週休2日制の道筋をつけた。表面的な仕事とは別に、実質的な仕事を進める方法がある、それは個人的な関係が重要だと教えられたのである。

2019年04月19日 想いでの人々(その5 中野正夫おじさんとその家族)

 中学校の修学旅行で奈良に泊まったら、中野家へ挨拶に行くようにと母に言われたのはもう40年前のことだ。母は大学時代を奈良で過ごしたが、その時アルバイトで市会議員選挙のウグイス嬢をしたらしい。奈良の旅館に迎えに来てくれたのは市会議員の議長まで勤めた中野正夫おじさんの長女の暢子(のぶこ)さん。それ以来、中野家との関係は今日まで続いている。

 暢子さんは母と同年で独身だったので、私をまるで息子のように可愛がってくれた。暢子さんからは大学は両親と同等かそれ以上の学校に合格しろと発破をかけられ誓約書を書かされたり、突如東京に私を連れて行き、これが東大の赤門だと見せられたりした。

 私にとっては中野家はいつしか東京から熊本へ帰省する際の休憩基地となり、お陰で奈良の寺社仏閣を数多く訪ね歴史・文化に触れることができた。正夫おじさんは達筆であり、出雲和紙の巻き紙に墨と筆でしたためた手紙は保存している分だけでも10通を超える。ある時には、私からの手紙の名前が小さ過ぎる、人物まで小さくなるから大きな字で名前を書きなさいと指導された。今でも手紙をしたためる度に思い出す貴重な教えの一つである。

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