芭蕉林通信(ブログ)

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2016年12月27日 今年の漢字

 久しぶりに上京したホテルで全国紙を読んでいて、ふと面白いコラムを見つけた。それは記者がパソコンで「せいかいはかねなり」を漢字変換させたら「政界は金なり」と出たというもの。もちろん記者は「正解は金なり」と書こうとしたのである。この面白さは間違いの方がリアル感がある点である。思わず心の中でニヤリとした。

 ところで先日日本漢字能力検定協会が発表した今年の漢字は「金」だったのはご承知の通りである。いつものように、清水寺の森貫主が金の一字を揮毫された。その鮮やかな筆さばきから現れた金の字が私にはどうしても金とは読めなかったのである。

 そこで取り出したのが歴史上活躍した書家の字を集めた「書源」。さっそく金の字を調べると確かに森貫主の書いた字があった。それは中国の元の時代の鮮于枢の字そっくりなのである。宋の時代の字にも似ていることから、揮毫された字は宗・元の時代に使われていた行書か草書の「金」だと判明した。いずれの日にか書道を始めたいとは思っているものの、この一字をもってしても、先に広がる道の遠さに圧倒されている。

2016年12月13日 備えよ、常に

 一昨日の日曜日のことである。家人が出払っていて私自身何もすることがないので、ロードバイク(高速走行用の自転車)で一乗りしようと家を出発した。午後3時であり、寒さが襲う日没までに帰宅しなければならない。そこで片道一時間の熊本新港まで往復することにした。バイク用の服は薄手だが、バイクを漕げばすぐ身体が温まるはずであり、念のため汗をかいた時に換えるシャツだけは持参した。

 快調にバイクを飛ばし、予定通りに熊本新港に到着。いつもはフェリーで島原に渡る時に来る港である。物珍しさも手伝って、バイクを漕いで新港一周を試みる。遠くにはうっすらと月がかかり、その下には阿蘇が遠望できる。阿蘇の中岳からは白い噴煙が上がっている。見晴らし抜群である。港を一周してみると、野鳥観察の施設、複数のリサイクルセンター、海苔を収穫する大型漁船が停泊する漁港など多種多様なものが港を形成しているのに初めて気が付いた。やはりバイクというスローな乗り物で来たおかげである。

 そうこうする内に太陽は傾き、時刻は4時、そろそろ帰宅する時間である。新港と陸地を繋ぐ長い橋を快調に飛ばしていると急にバイクの変調に気がついた。まさかの後輪パンクである。タイヤのパンク修理の道具もなければ空気ポンプもない。一気にパニックに陥った。パンクしたバイクを押して自宅に帰ろうと決心したが、日没との競争である。しかし、道半ばにして太陽は沈み、闇が広がると同時に気温は一気に低下。かつて経験した低体温症の恐怖が襲ってくる。風が強まり体感温度は急速に低下する。何度も心が挫けそうになるが、こうなったのも自己責任である。まさかの事態を想定して準備を怠った罰である。それにしても寒さが厳しく、疲れた身体に鞭打ってがむしゃらに走ったり歩いたりを繰り返す。これはもう、酷寒の地で男が遭難する小説を書いたジャック・ロンドンの世界と酷似していると思った。  かくして挫けそうな心を励ましながら午後6時に帰宅できた時の安堵感は大きかった。何かしら、企業経営でも通用する教訓を得た気になった。私が小学生の時にはボーイスカウトだったが、その時の合言葉「そなえよ つねに」をすっかり忘れていたようだ。

2016年12月05日 ミューズ(知の女神)の存在

 年末を迎え自宅の各部屋の掃除を始めた。一年間省くことを怠り、増やすことばかりしたツケを払わされている。持て余している一例をあげれば、ヤフオクで購入した黒曜石の鏃や石斧などがある。昔子供の頃に日本の古代史で教わった発掘遺物に憧れ、つい目がくらんで買ったのである。私は興味の範囲が広いとつくづく思う。こうなっては、現代アーティストの村上隆氏に倣って、スーパーフラット・コレクションとして整理するしかなさそうだ。彼のコレクションの展示会を横浜で見たことがあるが、古くは縄文土器から現代アートまで膨大なコレクションに圧倒されたのである。

 さて本の整理をしている内に、未だ読んでない本が相当あることに気がついた。その中の一冊に、三島由紀夫の若い時の恋愛を取り上げた「ヒタメン」という本があり、今回は一気呵成に読了した。それほどの面白かったのである。三島由紀夫が30歳頃に出会った19歳の女性との3年間に亘る恋は、俗っぽく言えば灼熱の恋であった。何しろ3年間にほぼ毎日会い、私が換算したところでは年間5千万円ほどのデート費用を費消したのだから常識外である。それに答えるかの様に、彼女も一日として同じ着物を着ることはなかったというのだからもう驚愕しかない。それらができた背景・事情も興味深いものがあった。そして、三島由紀夫の傑作はその恋愛の期間に集中して生み出されたのである。二人が別れた後に三島由紀夫は別の女性と結婚するのだが、作家としては不幸な結婚だったようだ。つまり、それからの作品はおよそ傑作とは言えないものばかりだったからである。

 そうした事情を知れば、別れた彼女こそが三島由紀夫におけるミューズであったことが分かる。彼女から触発され、作品の材料を得て、三島由紀夫は面白いように筆が走る時代を迎えたのである。そこで思い出すのが、画家ダリにとってのミューズであったガラである。ダリも最愛の妻ガラが死んだことにより芸術を生み出す力を突然失ったのだから。そして、芸術家でない私たち男にも人生のミューズが必要であると思う今日この頃である。

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