芭蕉林通信(ブログ)

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2023年03月06日 能面と読書

 今はまっている事の一つが能面である。コロナ感染の拡大を機に仕舞と謡の勉強は止めたが、根底に能への関心の火種がくすぶっていたのかも知れない。お面(おもて)は能の舞台でシテ(主人公)が付けるものというぐらいの認識しかなかったが、実際の面を手にしてその魅力に心奪われてしまった。面は物であるだけでなく魂であり生き物なのである。

 試しに部屋に平太、中将、増女の三面を置いてみると、部屋が一気に引き締まり時空を超えた雰囲気になった。そこで思いついたのが、これらの面を見ながらその時代の小説を読んだら面白かろうということである。さっそく高木のぶ子著「業平」を読み始めた。伊勢物語のモデルと目される美男かつ歌人の在原業平の官職が「中将」だ。中将と増女の面をちらちら見ながら「業平」を読んだが、まるでそこに在原業平とその恋人たちがいるかのような気がした。

 趣味というものは深入りするものである。病を抱えた能面士の先生に申し訳ないとは思いながら、新たに小面、慈童、大べしみの三面の制作をお願いした。弟子を総動員して制作してくれるそうだ。これからまたどのような時空が産まれるのか今から楽しみである。

2023年02月28日 掘り出し物

 熊本の春の風物詩である白川河川敷の植木市が始まった。詳しくは知らないが江戸時代から続く長い歴史を誇っているらしい。今年も何かを見つけるというよりも行かなければ春の大事な行事を見逃すといった気持ちで散策がてらに植木市を覗いてみた。定番であるさまざまな種類の花や木の販売に加えて、最近では果肉女子の言葉が出るほど人気のサボテンや高価なメダカを売る店などが出ているのが面白い。

 私がいつも感心するのが盆栽コーナーである。大小の鉢に丹精を込めて育てられたいろいろな木のたたずまいがあたかも小宇宙のように思えるのである。中にはアート的なものもあり、長年盆栽を育ててきた苦労の一端を垣間見る気がする。しかしながら私自身は、盆栽を買っては枯らしてきたトラウマがあり、これまでは新たに購入する気がしなかったことは以前にも書いた気がする。(くちなしの小さい鉢植えは別として)

 ところが今年は掘り出し物の盆栽を見つけて心変わりがした。形が良い上に値段が安い、これならば万が一枯らしても悔いは残らないといった盆栽に出会ったのである。値札の桁が一桁違っているのではないかと店主に聞けば、これは特売価格とのこと。思い切って購入したものの、あまりの重さに自宅で車から降ろすのに一苦労した。この黒松の盆栽は幹が真っ直ぐなために安かったとも思えるのだが、我が家出入りの植木職人にいくらと思うか尋ねてみたところ、一桁高い価格でないかと言ってくれただけで自己満足しているのである。さあ枯らしたら大変だ。

2023年02月13日 銅接連

 庭の落ち葉を掃きゴミ袋に入れるのにいつも苦労する。昨年末は雨降りの日に落ち葉が固まって落ちていたので、それっとばかりに雨合羽を着て落ち葉を取り除いた。しかし翌朝には忌々しい風のおかげで、その十倍の量の落ち葉がその十倍の広さに落ちているのを見て絶句した。落ち葉掃きは近所迷惑を考えながらも掃くタイミングがとても大事である。

 退職して家にいる旦那さんを外出させようとして奥さんが苦労する。どうしても家にへばりついている旦那さんたちを「ぬれ落ち葉族」と揶揄する向きがあるが、いつの世でも落ち葉は厄介者扱いである。そういえば小学校の4年生時の担任であった豊永先生はかなりユーモアのセンスがあった。学習連絡メモに、掃除は「アトミヨスソカ」が大事と書いてあって何の意味か全く分からなかった。母曰く、掃除は掃いた後を見よ、裾の方から、ではないかと。

 また、豊永先生がクラス全員を魚釣りに連れて行ってくれたことがある。その準備メモに書いてあったのが「銅接連」。最初は釣り竿につける道具かと思ったが、やがて「どうせ釣れん」の隠語と判明した。その愛すべき先生が人吉の学校に赴任してしばらくして事故死されたのは今もって残念である。しかし、そのユーモアの精神はこうして今でも蘇ってくる。

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