97件〜99件 (全 722件)
<前の3件
・・・
29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 ・・・
>次の3件
考え事をするには車を運転するときが最適だ。とはいえそれには条件があり、通いなれた道を渋滞に巻き込まれず、さりとてスピードを出さないで安全運転する時に限る。危険を感じる時には、運転に集中し頭をフル回転させ周囲を観察しなければならないからだ。 したがって、暇なときは車を運転しながら俳句を作ったりする。車窓に広がる景色を見ながら、季語を見つけ即興で句作を試みる。時間はたっぷりあり話し相手もいないので、ああでもないこうでもないとただただ頭の中で推敲する。仮に句ができてもすぐに忘れるので、手近にある紙に書き留めるのが一苦労だ。ただそうして作った句で満足できる句は十に一つもない。 車を運転しながらするもう一つのことは、赤信号で車が止まっている時にふと見つけた景色をスマホのカメラで撮影することだ。信号が変わるまでの一瞬のチャンスを生かすのは骨が折れる。スマホを取り出し顔認証でオンにしてカメラ撮影アプリを開き被写体に焦点を合わせて撮影をしなければならない。そういう苦労を伴うだけに面白い写真が撮れたりするとご褒美を得た感じがする。普段見られない景色が確かにそこにはある。(ググると停車中のスマホ撮影はぎりぎりセーフのようだが、これからも十分注意しようっと)
|
九州では紅葉もそろそろ終わりを迎えようとしている。いつものことながら、鈴懸の径で人間の手のひらのように大きく整った葉を十数枚拾ひ集めた。自宅に帰ってその一枚一枚を古新聞に挟んで押し花にするのだ。と言ってもその過程を楽しむのが常のことであり、出来上がった押し花の取り扱いにはいつも苦労する。それが分かっていながら、美しく紅葉した落ち葉をどうしても放置できない心がある。 そうした季節の移り変わりを感じるのは自然現象だけではない。日々の暮らしの中で、季節ごとの美しい言葉に出会うことがある。その一つが冬薔薇(ふゆそうび)だ。この言葉は、俳句の季語辞典で初めて知った。その不思議な読み方に感心するとともに、厳しい寒さにもめげずに健気に咲く薔薇の姿が目の前に広がる気がした。 この写真は昨年の11月末、車内に置いた冬薔薇に外からの光が当たった時のものである。一瞬薔薇は宝石かのような姿を見せてくれた。俳句歴は下手なので恥ずかしくて言えないが、こうした季節の美しい言葉に会える限りはこれからも続けていきたいと思っている。
|
先月、ある料亭から月見の会に招待された。無料招待ということで恐縮しつつ参加したが、食べ放題飲み放題の大盤振る舞いだった。それに加えて、地元の能の先生方が謡や仕舞まで披露してくれなんとも風流な一夜となった。 その料亭には約50名が集まったが、席はフリーということなので連れと何気なくその一隅に座った。後から次々と同じテーブルに人が来るが、いずれも初対面の人たちばかり。新聞社の社長夫人、オーガニック菜園を作っている婦人などとの話が弾んだ。そしてもっとも興味深い人物が能面士のA先生だった。 私自身が謡と仕舞の稽古を一時していたこともあり、A先生とは深酒の勢いもあり意気投合した。さらに調子に乗って能面を一面打ってもらう約束まで取ったのである。この時ほどお酒に感謝したことはない。そしてつい最近、先生に依頼していた「増女」の面が届けられた。フリースタイルは新たな出会い、チャンスに繋がるものだとあらためて感心している。
|
97件〜99件 (全 722件)
<前の3件
・・・
29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 ・・・
>次の3件