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九州新幹線の福岡から熊本への延伸、そして鹿児島へと繋がるよう願って誘致活動を実施したのはずいぶん昔ように思える。今となっては九州新幹線の全線開業は当たり前のインフラだと思う人が多いだろうが、当時は官民挙げて必死に誘致活動をしたのだった。その過程は意外な展開をしたことも記憶にと留めておかなければならない。本来ならば福岡から熊本に延伸され、その後に熊本から鹿児島へ延伸されるべき九州新幹線は、まず新八代駅から鹿児島中央駅までが先行開業した。鹿児島の強力な誘致活動と政治的な思惑が交差した結果だと熊本県民はほぞをかんだのである。 しかし今日の熊本都市圏の整備状況を見るならば、確実に都市圏としての整備が進み都市としての魅力を増したことは間違いない。主なところで言えば、熊本中心市街地の再開発によりサクラマチという商業施設と広場が完成、新幹線駅の整備と駅周辺の高層化、そして駅前広場とアミュプラザという大型の商業施設の誕生がある。生まれ育った街がかくも近代的かつ高層化されようとはまるで夢のような気がするぐらいである。 また私にとっては、花畑広場、駅前広場という魅力的な公共空間が生まれたのはまるでヨーロッパのアゴラ(広場)が熊本に舞い降りた感すらするのである。特に今月から始まった「くまもと 花とみどりの博覧会」は、花畑広場や江津湖近くの熊本市動植物園を主会場にするもので、さっそく広場が市民交流の場として活用され始めたと心からうれしく思う。果たして見たこともないような美しい花で彩られた花畑広場は、これまでの熊本地震やコロナ感染騒動で傷ついた心をしばしの感とはいえ癒してくれるのである。
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「わらしべ長者」という昔話があるが、これはある人が転んだ時につかんだ藁から始まって、最後には邸宅を手に入れるという物語である。ところが、「ティナ・シーリングのスタンフォード大学白熱講義」を読んでいると、家をどうしても欲しい男性が赤いペーパークリップをさまざまな物に交換していき、最終的には田舎の家を手に入れたいう実話が紹介されていた。古今東西、天地(あめつち)の下に異なるものはなしと感心した。 そんな頃、たまたま会った友人の話が興味深かった。彼は有力な地元企業の重役を卒業した後は悠々自適の生活をしているのだが、趣味としてメダカを育て繁殖させている。その数は千匹を超えるとあって、会うたびにメダカをもらってくれないかと言ってくれる。しかし我が家にはすでに銀色やオレンジ、さらには茶色のメダカが合計15匹いるために断ってきた。 ところが最近彼が語るところによると、お世話になったオーナーに挨拶がてらメダカを持参すると翌日お礼の電話があり、会社の顧問として復帰を依頼されたというのである。昔の言葉で言うならば、殿様が家来に「愛(う)い奴だ」と目を細めたのであろう。世知辛い世の中、久々に良い話を聞いたとこちらまで嬉しくなった。やはり、他人様には親切にしておくに限る。
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今日の朝刊にある夫婦が、「あれから6年」、「2016年4月14日21時26分」、「2016年4月16日1時25分」と窓に貼りだしている写真が掲載された。そうだ前震のあとに本震が襲った熊本大地震からもう6年が経とうとしているという事実に感慨深い思いがした。そこでスマホに撮り貯めている写真を熊本地震前まで遡り、現在までスクロールしてみると意外な事実に突き当たった。熊本地震の被害状況と復興の写真が数多くあるのだが、一段落する頃から国内外へ出張や旅行に結構行っているのである。 そして3年前から新型コロナ感染症が猖獗を極めると出張や旅行の写真は皆無となる。熊本県人にとって地震の被害とそのあとの復興の努力は決して忘れられるものではないが、こと行動に関しては新型コロナ感染症の衝撃は比べ物にならないほど大きかったことが分かる。それもそのはず、新型コロナ感染症は一地域や一国家の範囲に留まらず世界的規模で拡散したのだ。 とはいえ、身近なところで言えば地震から復興したところもそうでないものも混在しているのが現実である。たとえば熊本城の復興がしかり。愛して止まなかった阿蘇の垂玉温泉の滝の湯も壊滅したままだ。ここに掲げたのは、地震発生20日前の写真と地震発生後アクセス道路の整備を待って現地に行った時の写真である。前者には滝の真下にある滝の湯が見えるが、後者には滝の湯は跡形もない。我々熊本県人にとっては熊本地震の復興に留まらず、新型コロナ感染症という未曽有の体験を長い期間同時に強いられていると改めて感じた。
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