124件〜126件 (全 722件)
<前の3件
・・・
38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 ・・・
>次の3件
2022年02月24日 新型コロナと小噺(こばなし)
オミクロン株による感染拡大と新規感染者の高止まりは、昨年末デルタ株による感染者がゼロ行進していた頃からすれば想像もできない規模となっている。幼児の感染者が激増している現状は、言うまでももなく家庭内感染の増大を意味している。各国の詳しい情報を得ているはずの政府が相も変わらず後手を踏むのには呆れてしまう。 かくしてわが身辺にもオミクロン株が押し寄せ、私も思いもかけず濃厚接触者になった。致し方なく、検査キットを取り寄せこわごわと抗原検査をしてみれば幸いにも陰性。とりあえずほっとはしたが、謹慎生活を強いられたのにはまいった。 そして同じく1週間の自宅待機を強いられた孫娘に下記のごとき小噺が産まれた。1週間のリモート授業を受けた後、孫娘が久しぶりに小学校に登校した時の会話。 「どうして学校を休んでいたの?」 「なんとなく。」 「自由人だね。」 そうです、会社人間も自由人でなくては、と今朝会社の朝礼でこの実話を披露した次第。
|
「世界の民藝」という本を読んでいて思いがけない発見があった。本に紹介されている民藝品のうち、3個の品が我が家に到来しているのである。丁寧な説明を読んでいるうちに、それらの謎めいた素性が初めて分かったのは望外の幸せだった。 その一つがタイの骨董店で見つけた経典である。本にある説明は次のごときもので、専門用語が多くてなかなか頭に入ってこない。「ビルマ文字のパーリ語で書かれたもので、貝葉に漆塗りし金箔を押した上に、黒漆で経文を書いた豪華な体裁の南部上座部仏教の経典」とある。ちなみにネットで調べると、パーリ語とは南伝上座仏教の典籍で主に使われる、紀元前3世紀まで遡る古い言語とか。また貝葉とは紙の代用品として使用した貝多羅葉(タラパヤシ)のことだそうだが、依然ちんぷんかんなことに変わりはない。 もう二つは、インドネシアで買った絵柄が彫刻された木製筒と地元で見つけた朝鮮時代の飴釉の壺である。前者は儀式に使う薬草入れで少し怖そうな男の顔の栓が付いている。後者はハチミツや塩などを入れた台所用品と分かった。それぞれ三つの品を手に入れたのは今から約20年前のこと、それが今日やっと正体が分かったという次第である。とはいえ、郷土の方言で言えば「なんとんつくれん」品物を身近に置いて眺めながら、改めてなんでこんな物を買ったのだろうとため息ばかりついている。
|
オミクロン株の感染拡大によって自宅待機の時間が増えたのは致し方ないが、運動不足にはつくづく悩まされる。本来運動機会は生活習慣化されているわけで、行きつけのフィットネスジムの休館やゴルフコンペの中止などにより、完全にリズムが狂ってしまった。最近の体重計は機能面で優れているので、体重以外にも体脂肪率や基礎代謝量など各種の指標が出る。そして健康年齢? とでも言うべき数値も表示される。オミクロン株による第6波が襲う直前の健康年齢は56歳と実年齢より低く出てしめしめとほくそ笑んでいたが、昨日計測したところ59歳と表示されたのには唖然とし又がっかりしてしまった。 というのは、年が明けては努めて自宅近くを1時間以上散歩や速足で鍛えているつもりだったからである。熊本市内に在住とはいうもののその郊外にあたる地域は、裏山が近くにあり自然に恵まれさらには坂道だらけなのである。自然を愛でながら足腰を鍛えるには最適な地域とも言える。しかも散歩道にしているルートには歴史的な場所が多く含まれている。例えば、釣耕園(ちょうこうえん)、叢桂園(そうけいえん)、百梅園(ひゃくばいえん)、長名水(ちょうめいすい)など 知る人ぞ知る名所旧跡が集まっている。 その一つ釣耕園の庭を散策していた時、今や誰もすんでいない家屋に置き忘れられている一枚の屏風が目に入ってきた。その屏風には、かつてこの欄で紹介した大正天皇の侍従だった熊本出身の漢学者落合東郭の漢詩があり思いがけない発見に嬉しくなった。それは以下のような七言絶詩である。
問余何意棲碧山
笑而不答心自閑
桃華流水窅然去
別有天地非人間
私なりに意訳すれば、
私に山深く棲んでいるのは何故かと人は訊ねる
私は笑うばかりで答えないが心の内は長閑なままである
桃の花は水に流れて遠くまで去っていく
ここは誰もいない私だけの別天地なのだ
こういう発見があるからこそ散歩は止められない、止めてはいけない。
|
124件〜126件 (全 722件)
<前の3件
・・・
38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 ・・・
>次の3件