芭蕉林通信(ブログ)

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2019年08月26日 「自ら」と「自ずから」

 能の勉強を始めて早2年が経つ。原則月二回の個人レッスンだから回数だけは随分と稼いだ。とはいえ、室町時代に始まった奥深い芸能は大きな壁となって私の前に立ちはだかっていることには変わりがない。

 この間熊本では、会を発足して能を普及する活動が始まるなど一般の関心を高めようとする動きが出て来たのは好ましい。よく知られていないが、熊本は加藤清正から細川家治政の長い期間、能楽が極めて盛んな所であったのだ。

 2年間の練習の成果は確かに出ていることは出ている。仕舞いや謡の基本が少しは身に付いている実感はある。しかし、未だ先生の所作や発声を真似するのに精一杯であり、一人で舞う時には必死に思い出して再現しているに過ぎない。ある意思を持って行動することを「自ら」と言い、自然と動く境地を「自ずから」とするならば、私の場合は万事が日暮れて道遠しと言わざるを得ない。

2019年08月20日 家捜し(やさがし)

 今「家捜し」と言っても、若い人はどれだけ知っているだろうか。その意味は住む家を捜すというのではなく、家の中をくまなく捜すということである。今回図らずも家捜しを経験することとなった。それは両親が住んでいた家を処分することになり、必要な品物、思い出の品物を捜す必要があったからである。

 10年間空き家であった家は熊本地震で大きな被害を受けずに来たが、住人がいない家はいつの間にか物が溢れた家となっていた。親族が家の中を片付けてくれたのはありがたかった。私も家を覗きに行ったが、家の中に独り佇ずみながらここが積年の思い出の詰まった空間であるということを実感した。

 一度は断念しようと思った家捜しだったが、個人的に必要と思う物を見つけ出す作業は根気がいった。それでも、父の日記や祖父の覚え帖など貴重な資料を救い出すことができた。さらに父の書斎で数冊の未見の本を手に入れることもできた。いずれ近い内に取り壊される両親の家ではあるが、仮にその姿を消したとしても、心の中には父、母そして祖母との楽しい記憶が永遠に残ると思った時、妙に安心した。

2019年08月09日 三羽のデコイ

 我が家には三羽のデコイがいる。デコイとは、鳥を獲る際に鳥をおびき寄せるために作った木製の囮の鳥である。デコイを室内インテリアとして購入する人も趣味として作る人もいる。我が家の二羽のデコイはアメリカ土産として20年前に到来、残りの一羽は目白の古道具屋さんから5年前に到来した。

 たまたま「バードカービング」の本が一冊あり、この本を処分したものかどうか思い悩みながら久しぶりに開いてみた。鳥の生態を観察して作られた木彫作品はいずれも細かく彩色され見事と言うしかない。いくつかのデコイ作品は実物のごとく彫られ彩色されている。その時ふと、我が家のデコイには実用性があり水に浮くのではないかと考えた。さっそく一羽のデコイを池に浮かべると、バランスを崩すことなくいかにも旅の疲れをとっている風情で浮かんでいる。まるで「旅のをはりの鴎(かもめ)どり 浮きつつ遠くなりにけるかも」と詠った三好達治の世界である。

 室内インテリアとばかり思っていたデコイが突然実戦に参加したような感じがした。同時に他人に見せたならば、本物と間違えてくれないかと期待が膨らんだ。過日長男が池の掃除をしている時に、焼き物のサンショウウオをこわごわと網で掬おうとしていたことがあったからである。しかし、再度の笑話が生まれなかったのはつくづく残念だった。

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