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久しぶりに社員の結婚披露宴に参列していろいろ思うところがあった。まず子連れの披露宴であったのが目新しく現代風と感心した。新婦側の主賓が挨拶で、「これまで順調に来たと二人から聞いたがその意味が分からない」と感想を吐露されたのがおかしかった。 私が気になったのは参列した男性陣の服装である。主に弊社の社員のことだが、平服や上着なしの者がいて呆れてしまった。日本の生活文化には、「ハレ」と「ケ」と言い非日常と日常を峻別する考えがある。「ハレ」の日に着るのが晴れ着である。この使い方を誤ると日常のリズムが崩れるばかりか、礼を失することになる。私の経験からすれば、ご年配の人に可愛がられるには礼を尽くし敬語を使うことである。 このように生活文化が失われた背景には、核家族化、住居の洋式化、都市化がある。住空間が激変する中で、指導してくれる老人は身近におらず生活文化を伝承する場もなくなった。せめて会社の中だけでも必要不可欠な礼儀の有り様を伝えていかなければならないと強く思った。
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「言葉のゆりかご 熊本ゆかりの人物語録」の夏目漱石の項に、正岡子規が漱石と鏡子さんとの結婚を祝して贈った句が載っている。それは「蓁蓁(シンシン)たる桃の若葉や君娶る」というもの。蓁蓁とは草木の葉が生い茂る意である。それにしても、子規がどういう着想を得て、この句を得たのか疑問が残った。 そうした一日、中国最古の詩集である「詩経」を読んでいた時、「桃夭(とうよう)」という詩に出会った。嫁に行こうとする若い娘を祝する歌だが、その最終節は次のようになっている。
桃は若いよ 桃の夭夭たる
茂った葉だよ 其の葉蓁蓁たる
この娘嫁きやれば 之の子干に帰がば
ゆく先よかろ 其の家人に宜しからむ(目加田誠訳) この詩に出会って初めて子規の句の謎が解けた。子規は「詩経」にも興味を範囲を広げ、「桃夭」の詩を下敷きにして冒頭の祝婚句を得たに違いないのである。子規は漱石が鏡子さんというベストパートナーを得たことを心から祝したかったのである。学識のあった漱石もまた一瞬にして「詩経」の一節を思い描いたのだろう。
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高校の同窓会幹事から卒業50周年の行事案内をもらい、改めて月日の流れを感じた。思えば、これまで多くの組織に属し、学び、挫折し、目覚めて来たのである。もちろん、人との出会いと別れも数多くあった。「年々歳 々花同じく咲き、歳々年々人同じからず」という漢詩の一節がある。季節が巡る間にも、両親を含め懐かしい人、大事な人を何人も失ってきた。 ところで、我が同窓会には文化祭と称する行事があり、有志が芸術作品を持ち寄ることになっている。私は3年ぶり二度目の出展をすることにした。熟慮した結果、同級生の目を汚す訳にはいかないので、阿蘇山の色鉛筆画とシルクロードの写真集という無難な二品を選んだ。 果たして文化祭の当日は、思い思いの作品がジャンルを問わずに集合した感があり興味深かった。世話人の話では、私の作品ではシルクロードの写真集が評判が良かったそうで一安心した。この世に一冊だけの写真集は、旅の記憶を呼び覚ますために写真専用サイトで作ったものである。過去に10冊ほど作っているが、よくしたもので後になるほど編集がうまくなり写真集の完成度は高くなっている。あと数冊は写真集を作ってみたいと思っている。
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