芭蕉林通信(ブログ)

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2019年04月15日 想いでの人々(その4 稲垣元肥後銀行頭取)

 私の出身銀行である日本興行銀行と富士銀行は三行合併して今みずほ銀行となっている。しかし、富士銀行の常務から肥後銀行に転職され副頭取、頭取となった稲垣さんと知り合えたのは熊本に来られてからのことだ。富山出身だが大学が同じ同窓ということで公私ともに親しくお付き合いいただいた。

 主に二つの接点があり、一つは熊本経済同友会、もう一つは大学の同窓会であった。稲垣さんは性格は温厚で知的、どちらかと言うとバンカーというより学者ぽかった。同友会では代表幹事として活躍されたが、私は副代表幹事として仕え、ご下命により「くまもとフーラム」などの新しい活動の立ち上げをしたりした。どういう訳か、稲垣さんから私は過大評価されており、その分張り切りざるを得ないという面があった。

 また稲垣さんを中心とした毎月開催の読書会があり、稲垣さんの名である精一からとって「精読会」と命名されていた。参加者がいい加減な読書感想を述べると、最後に発言される稲垣さんは大学ノートに書き留めたメモを見ながら、数々の知見を披露されるのだった。そうした稲垣さんが熊本から東京へ住居を移される時に、同窓会支部長の後任に指名されたのは、私の名誉でありいささか荷の重さを感じたことを覚えている。

2019年04月01日 想いでの人々(その3 江頭味の素元社長)

 江頭さんとはそれこそいろんなご縁をいただいた。そもそも江頭さんが一橋大学を卒業して海外に雄飛する企業として就職先に選んだのが味の素株式会社。しかし、最初の辞令が熊本駐在だった。独身時代の武勇伝は、自ら語った日本経済新聞の「私の履歴書」に詳しい。私の最初の思い出は、中学時代に開催された地元食品問屋とメーカーの合同運動会のことである。競技の一つに1500m走があり、身の軽い私は大勢のメタボのおじさん達と一緒に走り、2年連続優勝し掛け布団をせしめたのである。その時の会場整理係が江頭さんで後年にその思い出話に花が咲いた。

 熊本という地縁、大学同窓という学縁により終生アドバイスを受けることができた。東京支社長の江頭さんを五反田に訪ねた時には、味の素の売上の3分の一は俺が作っていると語り、社長秘書、組合委員長を歴任したことを自慢する自信家であった。そして、毎週英会話の勉強や経済学のセミナーに参加する努力家でもあった。

 全国的な流通業界事情を教えていただいたことも再三だったが、印象に深く残っているのは、ご自身の健康管理だった。手帳を取り出して昨年の一日平均歩数は1万何歩とか、毎月病院に行って健康診断をしてもらっているとか話された。激務の社長業を努めるには、接待があっても二次会には行かない、社長車には毛布を置きこまめに仮眠するなど秘訣を伝授された。味の素の歴代社長が長生きされる伝統があるだけに、江頭さんの逝去は早すぎるものであり、私は頼りになる先輩の一人を突然失ったのである。

2019年03月29日 想いでの人々(その2 大恁ウハウス食品社長)

 ハウス食品の大恤寰ミ長との会食があるとのことで、料亭「すざき」に父のお供をさせられたのは37年前のこと。東京の銀行を辞めてすぐのことだったので、私を誘うようにとの大怩ウんのご配慮があったのかも知れない。大怩ウんが気配りの人というのはその後のお付き合いの中で気がついたことである。当日はただお酒が強い人であり、顔は笑っていても目は笑っていない人との印象を持った。

 その後先代社長の飛行機事故により、大怩ウんは急遽ハウス食品の社長に就任され、確かグリコ森永事件に巻き込まれたハウス食品の防衛に身を挺して取り組まれたのだった。20歳代で福岡支店長になられた大怩ウんは九州への思い入れが生涯強かったような気がする。社長就任直後に熊本に二泊三日で来られ、一晩は父の自宅で父と二人きりで酒を飲み交わしていた情景を思い出す。

 大怩ウんのお陰で、中小卸の我が社でありながらいろんな会に参加させていただいた。感謝しても感謝しきれない。ゴルフコンペに参加すると、ネーム入りの帽子をいただき、プレイ前に配られたスコアカードには事前に一組4人の名前が書き込まれており、しかも本人の名前のみ大文字という気の配りようなのである。そうした大怩ウんには会社を辞められた後でも、熊本で社内研修の講師を務めていただいたり、年に一度は必ず私が大阪に赴きお会いしていただくなど常に励ましと指導を受け続けてきたのである。今となっては生前に大怩ウんからいただいた手紙とメールの数々は、私の大切な宝物となっている。  今年の2月に突然お亡くなりになったとのご家族からの電話には、思わず涙が出てしまった。1月の電話とメールが最後となった。ご冥福を心からお祈りしている。

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