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好奇心に任せるままに購入したのが猫背矯正装置である。イスラエルを旅するテレビ番組を観ていた時、番組の中でハイテク企業が開発したという装置が紹介された。それが猫背姿勢になった時に振動して教える装置だった。日頃から猫背が気になっていたこともあり、さっそくネットで見つけて購入した。 ネット上での評価がまちまちなのが少し気になった。説明がすべて英語かヘブライ語?であり、確かに手探りで使用するしか手がないのには困惑した。イラストが専門アプリに出てくるので何とか使用できた。粘着性のある面を首の後ろ、肩甲骨の間に貼付ける。首が折れ少しでも猫背になると、途端にブーブーと振動が起こる。その度に背を伸ばし、胸を張るのである。 歩く、デスクで執務する、パソコンで作業する、いたる時にブーブーとやられる。その度にしゃんとする。その繰り返しである。今日など設定ミスなのか、5cmぐらいでも前かがみなるとブーブーとする感じだ。疲れはするものの意識付けするという点では効果は絶大だ。使用し慣れてくると、装置をつけなくても自然と猫背を意識することになるらしい。そうなったら装置は必要なくなるというのだから面白い発明であることは間違いない。もう少し頑張ってみるつもりだ。
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久しぶりに社員の結婚披露宴に参列していろいろ思うところがあった。まず子連れの披露宴であったのが目新しく現代風と感心した。新婦側の主賓が挨拶で、「これまで順調に来たと二人から聞いたがその意味が分からない」と感想を吐露されたのがおかしかった。 私が気になったのは参列した男性陣の服装である。主に弊社の社員のことだが、平服や上着なしの者がいて呆れてしまった。日本の生活文化には、「ハレ」と「ケ」と言い非日常と日常を峻別する考えがある。「ハレ」の日に着るのが晴れ着である。この使い方を誤ると日常のリズムが崩れるばかりか、礼を失することになる。私の経験からすれば、ご年配の人に可愛がられるには礼を尽くし敬語を使うことである。 このように生活文化が失われた背景には、核家族化、住居の洋式化、都市化がある。住空間が激変する中で、指導してくれる老人は身近におらず生活文化を伝承する場もなくなった。せめて会社の中だけでも必要不可欠な礼儀の有り様を伝えていかなければならないと強く思った。
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「言葉のゆりかご 熊本ゆかりの人物語録」の夏目漱石の項に、正岡子規が漱石と鏡子さんとの結婚を祝して贈った句が載っている。それは「蓁蓁(シンシン)たる桃の若葉や君娶る」というもの。蓁蓁とは草木の葉が生い茂る意である。それにしても、子規がどういう着想を得て、この句を得たのか疑問が残った。 そうした一日、中国最古の詩集である「詩経」を読んでいた時、「桃夭(とうよう)」という詩に出会った。嫁に行こうとする若い娘を祝する歌だが、その最終節は次のようになっている。
桃は若いよ 桃の夭夭たる
茂った葉だよ 其の葉蓁蓁たる
この娘嫁きやれば 之の子干に帰がば
ゆく先よかろ 其の家人に宜しからむ(目加田誠訳) この詩に出会って初めて子規の句の謎が解けた。子規は「詩経」にも興味を範囲を広げ、「桃夭」の詩を下敷きにして冒頭の祝婚句を得たに違いないのである。子規は漱石が鏡子さんというベストパートナーを得たことを心から祝したかったのである。学識のあった漱石もまた一瞬にして「詩経」の一節を思い描いたのだろう。
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