2018年10月16日 掃除マニア
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それにしても掃除に熱心に取り組んでいることにはいつも驚かされる。落ち葉が落ちるこの季節は落ち葉は払っても払っても天から降ってくる。それを毎日掃き清めるのは大変だろうと思う一方、頼まれもしない行為がなぜ毎日繰り返されるのか不思議である。新しい街に来てご近所に受け入れてもらいたいのだろうか、宗教的な忘己利他の行為なのか、などといろいろと考えさせられる。 近年ゴミを集めて処分しないままにゴミ屋敷ができ、社会問題化する事件が散見される。しかし掃除マニアの彼女はまさに正反対であり、私などはその掃除ぶりを見るたびに我が家の前まで掃除してくれないかなあなどと不埒な考えに陥るのである。 |
2018年10月02日 批判は控えめに
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天に向かってつばを吐く感のある貴乃花の行動は、退職という道しか選択の余地はなかったのではないか。世間の耳目を集めるだけ集めて、自らの不始末が発覚したとなれば、組織にいづらくなるのは当たり前のことだ。信念に生きるのはさほどに難しいという典型的な例でもある。 そしてこれは貴乃花の問題だけではなく、身近によく起こることでもある。つまり、他人を批判する際に、自分自身を反省する視点がすっぽり欠けるのである。自分を客観的に捉える冷静さと賢さがあれば、批判する前に口を固く閉ざすことができよう。エドガー・アラン・ポーの詩で大烏(おおがらす)が叫んだように「ネバーモア(もう二度とない)」でありたい。 |
2018年09月26日 豪潮さんの辞世の句
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身近な人を亡くすのは悲しいことであるが、豪潮さんの辞世の句を思うと心から慰められる。死とは将来必ず自分の身に起こることだが、その時は同じ心境に立ちたいと思っている。 |