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気がつけば毎日探し物ばかりしている。女性の場合は知らぬが、男は場合は身につける小物が多いのだ。まず朝起きて着る服を探さなければならない。自分の服は自分で片付けるので、家人の助けを借りることはできない。目当ての物が見つからないのは日常茶飯事で、片付けがまったく下手なのだ。今朝は娘が携帯電話がないと騒いでいたから、片付け下手は遺伝子レベルの問題なのかも知れない。 服が整えば次に小物類の準備である。テレビで紹介された記憶術を活用して、「あさきめて」と口で唱えながら小物を集める。「あ」はアップルのスマホ、「さ」は財布、「き」はキー、「め」はメガネ、「て」は手帳である。しかし、これらも所定の位置にない時はひと騒動になる。集めた小物はバックに分類して収納させる。これで一段落となる。いや、筆記具、夏の扇子、ハンカチやティッシュも欠かせない。 今になっても見つからない探し物がある。大事にしていた物は徹底的に探すが、それでも見つからない場合は諦める。ない物に執着すると体に良くないからである。物に振り回される日常から早く脱出しなければならない。その前に、冬服の片付けや机の上の整理が待っていると思うとうんざりする。断捨離、トキメキ整理法、選択と集中、なんだか頭の中が混乱し始めた。
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最近は海水浴に行かないので、海は眺める対象ではあっても近づき味わう対象ではなくなった。私が子供の頃は、両親が天草での鯛釣り、水俣での太刀魚釣り、宇土半島での潮干狩りなどに連れて行ってくれた。私自身も我が子や孫に海を体験させるために、潮干狩りやイルカウォチンングに一緒に行ったことはある。若い時は海が好き、歳をとれば山が好きになる、というのは当たっているかもしれないとこの歳になって思う。 今や少なくなった浜辺の散策ではあるが、砂浜に咲く浜木綿が風に揺れている様子や湾の対岸に見える山並みが紫色に薄ぼんやりと見えたりすると一瞬にして開放感に浸れるのだった。そして浜辺に打ち寄せられる物を見つけては拾う喜びに浸るのである。たまたま本日の日本経済新聞の文化欄に、「漁師の風習 深い精神性」という記事が掲載されていた。そこに、漁師は浜辺に漂着する様々な物を「寄り物」と呼び、縁起が良いとして神棚にあげる、と紹介されている。 漁師ではない私ではあるが、「寄り物」の話になるほどと合点承知したのである。手元に残している「寄り物」の私設コレクションは3〜4点ほど。沖縄本島のやんばるの森を越えた北岸の浜辺で拾い集めた小さいが多彩な貝殻類、別の海岸で見つけた白いサンゴのかけら、長崎県五島列島の防波堤に引っかかっていた船型の浮きなどである。神棚にこそあげてはいないが、掛け替えのない思い出としてこれからも時々は眺めていくつもりである。
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2018年07月09日 タイムカプセルのような日記
生前の父は3年日記帳にその日の思いを長い間書き続けていた。一度見せてもらったことがあるが、日記には主に経営についての事柄が丹念に綴られていた。父が亡くなった時、母が「この頃、創太郎は私の話を聞かなくなった。」と書いてあったと涙目で私を詰問した。その時は、息子と父は一種のライバルだよと母には答えたのだった。今度は私の番とでも言うのか、32年前の日記が机の中から出て来たのである。昔の日記を読むということは、タイムカプセルを開けるようでおっかなびっくりな行為である。果たして36歳の意外な言葉が書き連ねてあるのには我ながら苦笑した。そこである一日を紹介する。1986年6月29日
二日続きのマージャンで深夜帰宅となり、午前中はダラっとした日曜となった。午後は図書館に行き、絵本14冊、本屋でフォーカス、フライデー、文春、ニューズウィーク、論語を買う。情報氾濫時代だと思う。(中略)深夜、5年ごとにあるワールドサッカー戦の決勝をみた。5年後には子供たちも中学、小学生にそれぞれなっていることを思うと来るべき次のワールドサッカーをどういう感慨で見ることになろうか。 因みに、サッカーのワールドカップが5年ごとというのは4年ごとの誤りである。また、この時の決勝戦はアルゼンチンが西ドイツに3−2で勝利している。アルゼンチンのマラドーナが話題をさらった大会だった。FIFAワールドカップ・ロシア大会が開催中の今、32年前にも観戦していたという事実が感慨深い。日記が記憶を補ってくれたのだ。日記を綴る意義がそこにある。
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