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最近は少子化時代となったために兄妹の数が少なくなった。中国では一人っ子政策が長く続いたお陰で、「小皇帝」となった子供は両親や祖父母から溺愛される存在となっている。ルソーは、「子供を不幸にする一番確実な方法は子供が欲しがるものを何でも与えてやることだ。」と言っている。確かに贅沢が子供のためになるとは到底思えない。 昔のように兄妹が多い場合は、年功序列の悲喜こもごもはあるにしても自然と組織での行き方を学んだ。喧嘩ばかりではなく一緒に遊んだり助け合ったりした。一種の駆け引きも覚える。貧しいからこそお金のかからない遊び方を自分たちで考える癖もついた。1950年代の日本は物質的には決して豊かな時代ではなかったし、家業に苦心している我が家も同じだった。 たまに持ち込まれる饅頭にしても、4人に一個の割当だった。そこで饅頭を如何に公平に4等分するかが大問題となる。我ら兄妹のルールは、長男の私がナイフを使い正確に饅頭を4等分する。そして妹や弟が取った残りの一個を私が取るというもの。これほど公平なことはないと今でも思っている。もっとも、生卵一個を溶いて4等分することは困難を極めた。この時ばかりは、兄妹4人で最後まで揉めたのである。「奪え合えば足らず、与え合えば余る」などという結構な言葉はその時は知らなかった。ただ知っていたとしても、やっぱり生卵では揉めたに違いない。
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先日から日大アメリカンフットボール選手の危険なプレイが世間を騒がしている。SNS時代には、情報の拡散は瞬く間であり隠したり誤魔化したりすることは難しい。それにしても、二十歳の学生を指導した監督やコーチの責任は深くて重い。 謝罪した学生は、アメフットに興味を持ったのは身体と身体をぶつけるコンタクト・スポーツに魅力を感じたからと言っていた。アメフットには100種類の戦術があり極めて頭脳的な戦いを強いられる一方で、ゲーム自体は身体的な接触が避けられない格闘技的な要素がある。 私の場合加齢とともに肉体的な強靭さを失って久しいが、伝統芸能の世界における身体表現については逆に関心を強めてきた。郷土出身の東大医学部の稲葉先生が医療活動の一環として能を学んでいることも刺激になっている。そこで今月から始めたのが稲葉先生にならい仕舞と謡いの勉強である。いずれの日にか、「ひとさし舞ってしんぜんよう」と言うのが目下の夢であり目標である。
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我流で絵を描き始めてほぼ2年が経つ。我流ゆえに絵の対象や描き方が定まらないこと甚だしい。鉛筆画、ペン画、水彩画、風景画、静物画、肖像画、抽象画など手当たり次第なのである。そもそも何が理由で絵を描き始めたか自分でも判然としない。写真を撮ることが好きなので、写真より個性の出しやすい絵に向かったという気がするだけである。 ただ美しい絵や有名な絵には今まで以上に興味を覚えるようになった。画家によって描き方や対象が違うところが面白いし参考になる。熊本現代美術館で開催されたアンドリュー・ワイエスの素描・水彩画展では、絵の持つ精神性と卓越した技術とに圧倒された。京都国立博物館で開催中の池野大雅展では文人画の魅力の虜になった。 さて、私のような素人画家に夢のような機会が訪れた。俳句仲間が本を出版するにあたり、私の絵を表紙に使用してくれたのである。「8つのテーマで読む水俣病」という本だが、立派な内容の本に対して私の稚拙な絵が足を引っ張らないか心配している。もし本が売れなかった場合、著者から私の絵のせいだと言われないかびくびくしている。そこで出版直後に2冊だけはちゃんと買っておいた。
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