芭蕉林通信(ブログ)

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2018年03月05日 書を見つけCDを聞く

 エッセイストの故白洲正子さんは戦時中に都心から疎開するために町田市の鶴川に農家を購入し移住した。観光客に解放されている白洲邸を訪れたのは十数年前のことだ。茅葺きの母屋と高低差のある庭があり、落ち着いた佇まいに感心した。とりわけ白洲正子さんの名作「隠れ里」が生まれた書斎が印象的だった。どういう机を使用したのか、机の上には何が載せてあるのか、周りの本棚はどういう配置か、など興味は尽きなかったのである。

 そして居間には正子さんが目を鍛えて集めた家具什器、美術品が品良く配置されていたのである。その中の一つに、画家松田正平の書いた短冊が掛けられていた。それは「犬馬難魑魅易」という書である。犬や馬を画くのは難しく、山川の精霊で人に害をなすという魑魅(ちみ)を画くのは易しいと解されるが、その個性的な字と逆説的な意味とを白洲正子さんは愛したのである。

 3年前のある茶会で博多から参加した青年美術商に出会った。話を聞くと自分の店を出したばかりで松田正平の作品がある言う。出張のついでに、彼の小ぶりな店に出向き松田正平のデッサンと書を見せてもらった。その書は「君不聞胡笳声最悲」(君聞かずや、コカの声の最も悲しいのを)である。これは漢詩の一節をとったものであり、異国の笳(カ:あしぶえ)の音の物悲しさは比類がなく聞かないでおれないとでもいう意味であろう。その書を譲ってもらい、実際に胡笳(コカ)のCDを見つけてその音色を聞いたみた。途端に唐時代の瀟湘(しょうしょう)とした音色が頭の中に広がっていったのである。 #漢詩とは、「君不聞胡笳声最悲 紫鬚緑眼胡人吹」

2018年02月26日 書を愛でる

 熊本県生まれの日本画家堅山南風は我が家の遠い親戚と聞いている。幼少の頃両親が相次いで亡くなる不幸もあり、我が家に遊びに来たことがあったらしい。氏は1968年に文化勲章を受章する大家であるが、故郷への想いは強く、私の祖父へのはがきが今でも残っている。はがきには絵に添えて自作の俳句が書き連ねているのも微笑ましい。

 大家とは絵のみではなく書もまた一流と知ったのは堅山南風の絵に署名を見つけた時である。達筆かつ個性的な署名が絵に映えて美しい。外国人が漢字を学ぶ際に、書を文字としてではなく絵またはデザインとして捉えるという感覚と同じものがあるのかも知れない。

 ここに掲げた色紙には、青墨かつ薄墨で茄子の絵が描かれ「淡味是眞」の賛がつけられている。「あわきあじこれしん」と読める字は、行書から草書に変化してまさに味のある賛となっている。私には淡い味とは単に食べ物のことではなく、93歳まで生きた堅山南風の生き方そのものに聞こえてくるのである。この一ヶ月ほど見飽きずに毎日眺めているのはそのせいであろう。

2018年02月19日 94歳の現役

 先週、大阪から新幹線に乗り熊本まで来訪いただいた経営コンサルタントのS先生は御歳94歳の現役である。ただで良いから話をさせろとご下命いただいたので、会社の幹部を集めて1時間半の講義をしていただいた。厳冬ゆえにS先生の健康を心配したが、実際にお会いしたらいらぬ心配であることが分かった。矍鑠していると言うのも失礼なぐらいS先生はおしゃれで、最新のニュースを収集分析されていることには驚かされる。敗戦の時にシベリア抑留を経験されているので根性が他の人とは違うのではないかと想像している。

 これまでも大阪の先生から時々電話が架かってきて、「今年いくつになった?」と尋ねられることがある。「先生、今年で・・歳になります。」と答えると決まって「まだ、若いなあ。」と言われはっとする。そうだ、まだ老けるには早いのだと気付かされるのである。

 インド独立の父であるガンジーに「永遠に生きるがごとく学び、明日死ぬかのように生きる。」という言葉がある。まさにS先生の生き様と同じだと感じた。さらに新幹線でとんぼ返りされる先生を車で送る途中、「食事はきらいな人間としてはならない。」と教えてもらった。消化に悪いのだそうである。最後に申し付け加えておくが、S先生にはちゃんと謝礼をお渡ししている。

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