2015年02月16日 司馬遼太郎記念館の菜の花
![]() 久しぶりに大阪に行った機会に、司馬遼太郎記念館にまで足を運びました。司馬さんの自宅の敷地内に、安藤忠雄さん設計の記念館がありましたが、目を引いたのが庭のあちこちに飾られた菜の花でした。
菜の花は、司馬さんが一番好きだった花ですし、著書「菜の花の沖」の題名にもなっているぐらいです。その菜の花に飾られた司馬さんの書斎が圧巻でした。
書斎には、執筆する机を囲むように本棚があり、縁側には柔らかそうな椅子が別に置いてありました。ここから、季節ごとに変わる雑木林の庭を司馬さんは眺めていたのだろうなと思うと、もう既に亡くなられていることが信じられない気がしました。生前の司馬さんはこれといった趣味はなく、ただ様々な本や資料を読む事が大好きだったということですから、庭を眺めながら好きな本を読み、気分転換をされていたのでしょう。
以前、白洲正子さんの武相荘を訪ねた際、その書斎を見たことがありますが、名著はこうした書斎から生まれるのだと想像すると感慨無量の感があります。次は北九州にある松本清張記念館に行ってみたいと思っています。
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2015年01月26日 私のバタフライ・エフェクト
![]() 1963年、アメリカの気象学者が、「バタフライ・エフェクト」という仮説を発表しました。それは蝶が羽を動かすと、空気中の微粒子を動かし、やがては地球の裏側で竜巻を発生させるというものです。学会の参加者は、その仮説のあまりの荒唐無稽ぶりに、本人を馬鹿にしあざけったのだそうです。
ところが現在では、この「バタフライ効果」が物理学的にも、また多くの社会現象にも適用されるようになっています。ある政治家がテレビ番組で、小さな社会運動が政治を動かすのであり、それが「バタフライ効果」だとコメントしていたことを聞いたこともあります。
![]() 昨年末のことですが、鹿児島大学の学生が卒論の研究のため面会を求めてきました。その卒論のテーマは、鹿児島の食文化で「黒」がキーワードになった経緯を調べるというものでした。そして、学生が行き着いた先が、2003年に私達が仕掛けた「肥後の赤・薩摩の黒」でした。
当時なぜ、「肥後の赤・薩摩の黒」というプロジェクトを始めたかと言うと、九州新幹線が新八代と鹿児島中央を繋いで部分開業をする際、民間企業としてビジネスチャンスに挑戦するべきではないかという気持ちでした。熊本では昨年から「くまもとの赤」という県庁主導の食文化振興策がスタートしていますし、隣県である鹿児島県でも「黒」が振興のシンボルカラーになって今日を迎えています。
果たして、私が思いついたプロジェクトが鹿児島大学の学生の調査する、「黒」の原点かどうかは知りませんが、もしそうならば、これこそが「バラフライ効果」そのものではないかと思うのです。私にとっては、10年後に嵐が起こったと思えるのです。
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2015年01月21日 道を尋ねられたこと
![]() 会社に着き会社の横にある駐車場に車を停めた時、一人の女性が手押し車を押しながら寄ってきたことがあります。何か話したそうな素振りでしたので、慌てて運転席の窓ガラスを上げて話を聞きました。どうやら、何年ぶりかに実家のある地区まで行きたくなり延々と歩いて来たのはいいが、道に迷ったのでここから先の行き方を教えてくれと言うのです。
私にとっては全く知らない地区であり、地元に詳しい社員に助けを借りることにしました。しかし、婦人の話は辻褄が合わず、何やら徘徊している様でもあるのです。そこで、疲れているその婦人を会社に連れて来て休んでもらいました。その間聞き出した婦人の住まいや行きつけの病院に連絡を取り、ご家族に無事に迎えて来てもらった時には心底ほっとしました。
最近徘徊という言葉をよく聞くようになりましたが、実際にそういう場面に遭遇し、その対応を迫られたことは初めてだっただけに印象深い出来事となりました。そして感じたのは、老人を守るのはユニバーサル・デザインなどハード面だけではなく、老人と共存している私たち一人一人の応接というソフト面がさらに重要であるということです。
私自身は実母とは毎週食事をするよう心がけていますが、実母と接する度に実母は自分の未来だと思うようにしています。今来ている高齢者社会は、まさに自分の問題そのものだと思うのです。
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