2015年09月24日 奉納能407回の重み
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秋晴れの続く季節となり、9月20日には熊本では最も歴史と伝統のある「藤崎宮大祭」が開催されました。当日は久々に早起きして、朝7時には祭りが通る新町に向かいました。新町は私が生まれた町であり、明治2年に創業した地でもある馴染みある場所です。早起きしたせいか、祭りの先頭に立って歩く元締めの先輩に久しぶりに遭遇したり、民謡「田原坂」に出てくる馬上豊かな美少年とは違いましたが、堂々たる甲冑姿の熊本市長とは随兵行列が立ち止まった時に立ち話ができました。
今年の祭り見学の目的の一つは、新町が町として参加する獅子舞の獅子に、健康に成長するようにと孫達3人を咬んでもらうこと、もう一つが「お旅所」で奉納される能を見学することでした。無事に幼子の孫が獅子舞に咬まれた後は、9時から始まる奉納能の見学です。
祝言で幕が開いた後は、熊本ゆかりの「高砂」、そして狂言を挟み、「敦盛」「羽衣」「長坂」と豪華な演目が続きました。この奉納能は、古来から「お旅所」で休んでいる神様に見せるものと言われており、従って見に来ている観客は神様と一緒に見ているということになります。神様に見せる能ですから、見るのにお金がいる訳ではなく、むしろ能楽関係者が総出演と言った豪華版でした。
さらに驚いたことは、今年の奉納能が407回目という事実です。熊本の地を治めた加藤清正や細川家歴代の殿様は、能を武家の式楽として大事にし、かつまた細川幽斎や忠興に至っては、太鼓を打ったりシテを舞うなどしていたのですから本格的な愛好者だったのです。
407回続く間には、明治維新時の混乱、同10年の西南戦争、第二次世界大戦の戦火などがあり度々中断したであろうと考えると、この奉納能は遅くとも江戸初期から始まっているのに違いないのです。こうした歴史が身近な所で味わえる幸せを感じた祭りの一日となりました。
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2015年09月14日 喉を詰まらせる
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というのは、週末のゴルフ場の食堂でフィレステーキを頼んだ時のこと、出てきた肉は一見して通常より質が悪く固そうな感じなのです。とはいえ、出された物は文句なく食べる癖がついていますので、ナイフとフォークで切った一片を口に入れ、適当に咀嚼して呑み込んだところ、たちまち肉の一片が喉に詰まったのでした。こうしたことは時々経験していましたので、一気に呑み下そうとしましたが、肉の一片は喉を通るどころか一層喉の奥に詰まっていく感じなのです。さらに呑み込もうとしてさらに失敗するともうパニックです。正直これで死ぬのかと思いました。
気を取り直して、全軍撤退とばかりに喉に詰まっていた物を一気に吐き出し、事なきを得た時には無事生還の心境でした。そして、これは加齢による体力の低下が原因なのかと思い憮然としたのです。
「誤嚥性肺炎」という病名を聞いた事はあったのですが、今回の出来事で「誤嚥性窒息」という恐ろしい病名を覚えたのです。倒れてもタダでは起きないことを信条としている経営者としては、これからは柔らか食を開発したいと思ったのは当然でした。
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2015年09月09日 沖縄で7割のこと
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久しぶりの沖縄は秋雨前線の影響か、一日目二日目共に曇りか小雨のあいにくの天気でした。おかげで涼しさは感じたのですが、三日目に晴れ間が覗くと一転南国の日差しが帰ってきたのはさすが沖縄と痛感したのでした。
現地に赴いて思い出した事があります。それは、私が初めてパスポートを取って旅行したのが50年前の沖縄であったということです。当時中学2年生であった私は、熊本市内の中学十数校から選抜された同級生約30名と共に、地元新聞の友好使節団として鹿児島港から那覇港まで船旅に出発したのでした。
船旅の苦しさは省きますが、当時の沖縄は日本に返還前で米国の統治下にあり、至る所に星条旗が旗めき、ドルでの買い物では、絵はがきが1ドルとは安いなと勘違いしたものです。つまり、それから50年間に40カ国を回る海外旅行の原点は沖縄にあったという訳です。
今回の沖縄では、現代の問題点とでも言う現実が「7割」という数字で表せることに気がつきました。もっとも、沖縄の人それぞれに聞いた話なのですから、大体の感じと捉えてもらえれば幸いです。
①耕地面積の7割は、サトウキビの栽培
(米や果物など換金作物が育てにくい農業だと思います。)
②米軍基地の7割が沖縄に集中
(タクシーの運転手は、今や基地経済は5%程度と基地の存在に憤慨していました。)
③アウトレットモールの売上の7割は中国旅行者
(相次いで、大型客船が入港していました。)
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