2015年10月20日 書斎の机
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物に執するという言葉がありますが、一端物を集めだすと惰性が付くとでも言うのでしょうか、切りがなくなる印象があります。文芸評論家の小林秀雄は、生前書画骨董に感心を持った時に、狐が憑くと表現しました。そして、書画骨董の収集をばたりと辞めた時に、憑き物が落ちたと言っています。 私の場合もある時期、物集めに執念を燃やしたこともありますが、最近やっと憑き物が落ちたといった心境になっています。きっかけを何かと言えば、時間と資金を費やすことがばかばかしくなったこと、所有価値ではなく使用価値が大事と思うようになったからです。 これからは、生活実感に沿った実用的な物に目を向けようと思っています。それにしても、今まで集めてきた物が私の宝物であることは間違いありません。 |
2015年10月16日 秋晴れに誘われて
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そうした秋の一日、秋晴れに誘われて阿蘇へのドライブを敢行しました。熊本市内では阿蘇からは遠い西側に住んでいますが、それでも車で1時間強で行ける阿蘇は大変身近な行楽地です。かつて年間1400万人の来訪者があると聞いたことがありますが、熊本市内と阿蘇を結ぶ国道は、通行量が多いために路面店にとってはドル箱路線となっているようです。もっとも、近年は国道以外にも複数のアクセス道路が新設されたりしていますので、一本の国道に自動車が集中するという時代は終わっています。
とまれ、阿蘇に行って一番最初に寄ったのは、いつも気になっていた一軒のカフェでした。想像していた通り、そのカフェから見た阿蘇のカルデラと阿蘇五岳はまさに大パノラマとして眼下に広がっていたのです。熊本の直木賞作家であった故光岡さんが生前、阿蘇の雄大さを表現するには神話を借りてくるのが一番だ、と言われていたことを思い出しました。確かに、阿蘇には多くの神話が残っているだけでなく、阿蘇神社や弊立神社などの神社群、また波野には神楽が伝承されているなど神様はどこにでも住んでいらっしゃるのです。 |
2015年10月05日 ローカル電車に乗って
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かつて東京の神楽坂に住んでいた時の思い出の一つが、早稲田大学大隈講堂の近くから乗った都電荒川線です。そもそも電車を発見したのは単なる偶然で、家族と散歩していた時のことでした。「おっ、東京のこんな所に古い電車が走っているなんて」といった感じでした。その電車に乗って、鬼子母神ではススキで作った木菟を土産に買い、雑司ヶ谷霊園では夏目漱石の墓を見つけて感激したものです。
さて、我が故郷にも、熊本駅や中心市街地を結んだ市電が長年市民の足として親しまれてきました。最近では、新幹線の開業に合わせるかのように、低床の最新鋭の車両が導入されたり、レールの敷いてある所に芝生が植えられたり、車両も路線敷地もすっかりおしゃれになりました。
本日ご紹介するのは、その市電ではなく、民間会社である熊本電気鉄道が運行しているローカル線です。このローカル線の思い出はこれまた随分昔に帰ります。具体的に申しますと、私が小学生の頃のこと、冬には必ず「うさぎ狩り」という学校行事があったのですが、その狩り場に行く時に生徒全員で乗ったのが熊電の電車だったという訳です。
自動車の普及により、熊電の路線も短縮を余儀なくされている今日ですが、ここには退役間近となった古い車両で5000系、別名「青ガエル」と呼ばれる電車が運行しています。その車両に乗らんとして、また写真に収めようとして、先週家族ともども小旅行を敢行しました。結論から申しますと、土曜日は「青ガエル」は運行せず、日曜日のみと言うことで、見事肩すかしを食いました。確かに、「青ガエル」は鳥で言えば、車両基地で羽を休めていました。
ともあれ、秋晴れの一日、高速道路をぶっ飛ばして運転するのとは大違い、まことにのんびりしたローカル電車の旅を満喫し、まんざらでもないなと思った一日となったのです。乗客が少ない時は、自転車と一緒の乗車OKというのも、のどかで好感が持てました。もっとも、「青ガエル」に乗るというリベンジの機会は残りましたが。
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