芭蕉林通信(ブログ)

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2014年08月11日 画家の見た光

 昔、近所にアトリエを構えている画家がおり、ある日訪ねていろいろと話を伺ったことがあります。その画家はパリで絵の勉強をした経験があり、私が訪ねた頃はキュービズム的作品を描いていました。その時に聞いた画家の話はとても印象深く、今でも時々思い出します。
 パリに出たピカソは若い時から評価された画家ですが、彼の周りに集まる人の中には哲学者や物理学者、医者などと今でいう異業種の人が大勢含まれていたそうです。そして、光の速度からして今見ている対象物は0.00000何秒か過去の映像だとか、陰になって見えないと思っている裏側の物は視点をずらせば見えるのだから、それを二次元のキャンパスに四次元として表現するのだどか議論しては、新しい絵画表現を探っていたというのです。
 また、その画家は、カメラで撮ったネガはフランス国内で現像してもらいなさい、日本の現像所は色を出そうとするが、フランスでは質感を出そうとするから、全く別の写真になるよと教えてくれました。その後、海外で撮ってきたフイルムを近所の親しい現像所に持って行き、色を出すのでなく質感を出すように依頼したのですが、その結果、写真に絵画性が出てきたのに驚くと共に大いに気を良くしたという経験がありました。

 ところで、先月末上京した際に、ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュスの「最後の写真展」を見てきました。晩年になって手が不自由になったバルテュスが、デッサンの代わりにモデルの少女をポラロイドで撮った写真展でした。何気無く入った写真展でしたが、自然光の中の少女が神秘的で純粋無垢な姿に変身しているのに衝撃を受けました。まさに、バルテュスは光を捉えているということが、素人の私にも感覚を通して理解できたのです。写真家の木村伊兵衛が、写真とはつまり光を捉えることだといった言葉がストンと胸に落ちた瞬間でした。


2014年08月04日 ネットオークション参戦記

    IT時代を迎えて、企業も個人もITの急速な進展にきりきり舞いさせられているというのが現実ではないでしょうか。街で出会う中学生や高校生は大抵はスマホをしながら、バスを待ったり歩いたりしています。企業は、ビッグデータや統計学が脚光を浴びる一方で、顧客情報の漏洩問題が後を絶ちません。便利になった裏腹に、個人も企業も危険にさらされています。
    現代の経営者は、ITの光と影を理解しながらも最先端の技術動向や利用状況を知っておかなければなりません。そのためには若い頭脳を持たなければなりませんが、私の年齢ではギリギリセーフだったと甘く自己採点しています。

  そうした事情もあり、今利用者が増えているネットオークションに挑戦したのが、約2ヶ月前のことです。第一の理由は好奇心、次には何か面白い物に出会うかも知れないという期待でした。さらに、ロングテールというネット販売上の言葉があり、マニアックな立場でレアな物が探せるのではという興味もありました。
    果たしてネットオークションに参入したところ、正直なところ、これに結構はまりました。 何しろ、珍しい物や始めて存在を知る物などが切りもなくネット上に氾濫しているのです。購買意欲を掻き立てる物が少なくありません。おまけに、真贋が不明であったり、傷の有る無しなど不明確なケースもあり、玉石混交の中から己の心眼で見抜くスリルさへ味わえるのです。
   入札に参加して感じたことは、競りに勝つためには、ライバルの目を欺むく技や買いたいという執念、ある程度の資金力が不可欠ということです。結果は、あまり必要でもない物を買い過ぎるかな、というものでした。そして、良い品物を調達する能力とネットでの作業を厭わないならば、個人で商売が簡単にできるということです。いわゆる無店舗販売ということですが、オークションサイトの提供者に入る手数料もばかにならないと気づくなど、結構ビジネスチャンスの勉強になったこの2ヶ月でした。


2014年07月28日 ああ、チョーアイ

 先日、「船を編む」というDVDを借りて見ましたが、なるほどと目から鱗が落ちることがありました。この映画はそもそも、ある出版社が辞書を作るという話です。その中に、「右」という言葉を如何に説明するかという場面が出てきます。主人公は賢明にも、西を向いた時に北にあたる方角と言うのですが、私自身答えられそうにないので、ひどく感心したのです。
 そこで、実際私も試してみようと思い、身近のスタッフ数人に「右ってなあに?」と質問をした結果、二人から「心臓のある側の反対の方」という答えが帰ってきました。それは、どうやら子供の頃に親から教えられたことのようです。私などは、右とはご飯の時に箸を握る手の方向と教えそうですから、親失格です。


 言葉と言えば、こんな失敗もありました。それは、東京での銀行勤務を終えて、故郷熊本の食品問屋に転職した時のことです。会議に出席する度に、チョーアイが取れたとかチョーアイを失くしたという議論が続きます。私は、チョーアイとはてっきり、玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛した、その寵愛とばかりに思い、食品業界は随分と難しい漢字を使うなと驚いていたのです。寵愛という漢字を書けと言われてもすぐには書けそうにもありませんでしたから。
 この勘違いが判明するのに約半年の月日がかかったのですから、私も余程鈍感だったのでしょう。とは言え、言葉が持つ意味は、人それぞれに違うというのも真実であり、コミュニケーションが大事な時代という今日は、言葉の意味を確認することが、仕事を遂行する上で欠かせない基本的なことではないかと感じています。


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