芭蕉林通信(ブログ)

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2014年09月16日 県知事室のくまモン

 私がくまもと「食」の大地親善大使に任命されて早11ヶ月が過ぎました。その間、取引をいただいている食品メーカーでは、カゴメがデコポンジュースを、三井農林が阿蘇の健康茶を、テーブルマークが県産米森のくまさんを使った無菌パックを相次いで開発し販売が開始されています。そして、今回はAGFが新たに晩白柚スティックティーを開発してくれました。AGF社長は私の年来の知人であり協力を要請した結果、予想を越えるスピードで新製品開発を進めてくれたのです。
 熊本県蒲島知事も自ら歓迎の意を伝えたいということになり、今月11日に知事室にてトップ会談が行われました。AGF社長には私も同道しましたが、県知事室には知事を始め農政関係の幹部が多数同席し、県の営業部長である「くまモン」までが出迎えてくれたのには驚きました。「くまモン」は相変わらずのお茶目ぶりで、最後は知事の指示もあり、テーブルに着座し大いに愛嬌を振りまいてくれました。

 この「くまモン」は、知事が「くまモンの政治経済学」というタイトルで講演した東京大学やハーバード大学にも付いて行っており、その後にパリに行ったことを考えれば相当の海外出張経験者となるようです。天皇皇后両陛下が来熊された時には、両陛下にくまモン音頭を披露するぐらいですから、世に数多くあるゆるキャラの中でも、特別に光り輝く存在であることは間違いありません。
 テディベアを作るシュタイフ社が1500体限定の「くまモン」を作り、深夜12時に売り出した際は、僅か5秒で完売したのですから、その人気恐るべしと言うべきでしょう。何を隠そう、私も2体買うように挑戦したのですが、見事に1体も買えませんでした。熊本県民としては、くまモン人気がこれからもずっと続いてほしいと思っているところです。


2014年09月08日 思い出の長崎次郎書店

 私の本籍地は現在住んでいる場所ではなく、生涯変わらずに新町という所です。そこは私が産まれたというだけではなく、現在の会社が明治2年に創業した地でもあるからです。また遡れば、安土桃山時代から江戸時代にかけて、加藤清正が商人の住む町として整備したのが新町であり、その新町の川に面した一画だけは「瓶や町」として、瓶や壷の職人が住んでいました。私の先祖がどうやら、瓶や町で「かめや」の屋号で瓶や壷を作っていたようなのです。
 その新町に歴史的建造物として登録された「長崎次郎書店ビル」があり、新町の近代化遺産として、ひときわ輝いた存在になっています。数年前には、オーナーから書店としての経営が難しいので知恵を貸してほしいと頼まれたことがありました。この書店には、個人的には強い思い出があり、それは人生の岐路ともなった出来事でした。従って、どうしても歴史と伝統のあるこの書店は存続してもらいたいと密かに思っていたのです。

 ところで、その出来事とは私が高校3年生で受験勉強真っ只中に起こったことです。自宅で数学の勉強をしていた時に、行列の問題がどうしても解けません。いわゆる問題先送りにして他の問題にかかれば良いのに、その時だけは解けないことがどうしても気になり、即座に自転車で長崎次郎書店の参考書売り場に行ったのです。果たして、参考書に同様の行列問題を見つけ、解き方が簡単に分かったのです。
 さて、その数ヶ月後に上京して、大学受験を受けた時のことです。数学の問題用紙の中に、あの行列の問題がほぼそのままで出題されているではありませんか。その時は心底驚き、かつまたラッキーと思いました。配点が多いであろうこの数学の問題が解けたことが、奇跡的な大学合格を勝ち取った最大原因だと今でも信じています。運が良かったといえばそれまでですが、自宅で問題が解けなかった時にすぐさま行動を起こした自分自身も褒めたいと思います。
 その思い出深い長崎次郎書店が、先月新たなコンセプトで再オープンしました。私ももちろんすぐさま馳せ参じたのですが、歴史ある町にふさわしい文化の香りする本が集められていて感激しました。40数年前の立ち読みのお詫びと大学合格の感謝の念を込めて、白洲正子の「ほんもの」と高峰秀子の「瓶の中」を、同行した孫には「科学事典」を購入しました。休みの日には、またふらっと訪れたい店ができ幸せな気分です。
 


2014年09月01日 改築されるホテルオークラの思い出

   8月18日の日本経済新聞朝刊の「春秋」欄に、ふと目が止まりました。記事は、ホテルオークラ東京の本館が老朽化のために立て替えが決まったこと、日本の伝統的な意匠を施し評価の高いメインロービーがなくなるのは残念だということが書いてありました。そこで私が昔、偶然に体験したことがこつ然と思い出されたのです。
 いきさつはこうです。今から30年ほど前に、地元紙である熊本日々新聞の紙上で約1年間に亘り、毎月「肥後の守」という随筆欄を受け持ったことがあります。その頃は、会社を売り出すための資金がなく、署名記事であれば会社の宣伝になると判断して、連載をありがたく受けたという次第でした。
 ある月は、「一期一会のサービス」というタイトルで、ホテルオークラ東京に宿泊した時の感想を一文にまとめました。ホテルスタッフの行き届いたサービスに感動したことを書いたのです。それから日を置かずして上京しホテルオークラに宿泊した時、突然部屋に副支配人という方から電話があり、明朝食事を一緒にしたいという申し出を受けたのです。
 翌朝食事を共にしながら副支配人から伝えられたのは、熊本のある方が私の随筆のコピーをホテルオークラに送られたこと、ホテル側はその文章を読み感謝されたという事実でした。そしてその折に副支配人から記念としていただいたものが、非売品である「日本の文様とホテルオークラ」という写真集でした。

 さっそく本棚から久しぶりに取り出して写真集を見たのですが、なるほど世界から来る観光客や要人のために、日本の素晴らしい文様や意匠がホテルのインテリアや装飾にふんだんに活かされているのです。例えば、富士山、銀杏、辻が花、藤、蘭、松、竹、芸術家の作品では富本憲吉、野々村仁清、俵屋宗達、棟方志功、さらに曲水庭、石庭があしらわれているという具合ですから、取り壊すのがもったいないとなるのは当然と言えるでしょう。
 もっとも、日本経済新聞の「春秋」欄には、改築される新館も日本の伝統美を受け継いだものになること、基本計画には本館を設計した谷口吉郎氏の息子さんが参加すると結ばれていました。私自身も一期一会のサービスがこれからもホテルオークラに引き継がれて行く事を確信しています。


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