芭蕉林通信(ブログ)

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2021年04月09日 東郭先生の硯

 馴染みの店でいろいろ雑多な物を見せてもらっていると、小さな手作りの硯が出て来た。木箱には、「遊履硯 東郭題」とあり、硯自体は縦8cm、横5cm、高さ1cmとまことに小振りな品である。東郭とは落合東郭(おちあいとうかく)のことで大正天皇の侍従を勤めた漢学者である。2万円と安くもあり迷わず買った。軽いので陶製のようでもあり、裏には本人のものと思われる漢詩が刻まれて味わい深い。明治天皇を侍従として支えた元田永孚(もとだえいふ)と合わせて、明治・大正と二代の天皇を支えたのが熊本出身というのは地元の誇りとして良い。

 骨董は自分の金で買えと言われるが、買うことによって初めて知る事は多い。コトバンクによれば、落合東郭は1866年肥後の生まれ、東大を卒業後宮内庁に勤務していたが、のちに帰郷して五高、七高の教授を歴任し、明治43年に再度上京、大正天皇の侍従となったとある。その一方で漢詩人として作品を発表していた。であれば、硯の裏に刻まれたのは自身の漢詩に違いないが、意味がわからないのが残念である。せっかく出会ったその硯を活かすべく小道具を合わせてみた。小筆と墨、目薬入れに水、そしてそれらを芹沢_介の「風」文字の巾着袋に入れた。面白い手作りの携帯万年筆ができたと思った。

 ところで、夏目漱石の娘婿氏が漱石の鏡子夫人と熊本へセンチメンタルジャーニーをした時の紀行文「ああ漱石山房」を読んでいると、新婚時代に住んでいた下宿先で落合東郭夫人に面会したとあるのを発見。落合東郭の帰郷が決まり、漱石と鏡子夫人は気に入っていた大江の家を出ざるを得なかったという事実があり、東郭の硯はまた一つ物語を加えてくれたのである。

2021年03月29日 明徳と陰徳

 徳を養成することは簡単ではない。と言って目標にしない訳ではない。だからこそ徳ある人生の先達から薫陶を得る機会があったことはありがたかった。「無為にして化す」とは徳のある人に接することで、周りの人が自然に感化されるという意味と教わった。私も感化されたとすれば嬉しいことである。

 徳についてよく思い出すのは明徳と陰徳の違いである。自分流に解釈すれば、明徳とは徳が自ずから明らかになり、周りから見える状態。陰徳は徳を積んでいく過程が周りから見えない状態とでも言えようか。高知県に甲子園の強豪校明徳義塾高等学校があるが、まさにこれは明徳。陰徳ではきっと学校名にはならない。

 今般、ある学生奨学会に小額の寄付をさせていただいた。新型コロナ騒動の渦中にあって、なんとか会社が厳しい1年を終えれたお礼のつもりである。陰徳であればこうした事実を知らさないようにしなければならないが、寄付の感謝状をいただいたことで明徳化したことは自然の流れだと今ではありがたく思っている。

2021年03月23日 デパ地下萌え

 巣ごもり生活が長く続くうちに、個人的に行動変容したものの一つがデパ地下(デパートの地下にある食品売り場)通いである。接待や懇親会、会社飲み会などが軒並み自粛に追いやられる中で、家庭内食事が主となり自ら買い物する機会が増えた。初めは近くのスーパーで自分用のビールやおつまみを買うことから始まった。

 そうこうするうちに、買い物に行く距離が伸びて、今ではデパ地下の多様な品揃えに心が奪われている。お目当ては、コーヒー豆、紅茶、スイーツ、肉の目玉品、刺身、地域特産品などデパートならではの品々である。

 さらにはアフタヌーンティーに欠かせないベーグル売り場を発見したのはつい最近のこと。この分だとデパ地下ではまだまだ面白い発見がありそうだ。地元では郊外やターミナル駅に大型の商業施設が相次いで開業する予定である。だからこそ、歴史があり又さまざまな文化の拠点でもある地元デパートを守るために、消費者の一人としてこれからも精一杯利用して行きたいと思っている。

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