2019年09月18日 子規から漱石への祝婚歌
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そうした一日、中国最古の詩集である「詩経」を読んでいた時、「桃夭(とうよう)」という詩に出会った。嫁に行こうとする若い娘を祝する歌だが、その最終節は次のようになっている。 この詩に出会って初めて子規の句の謎が解けた。子規は「詩経」にも興味を範囲を広げ、「桃夭」の詩を下敷きにして冒頭の祝婚句を得たに違いないのである。子規は漱石が鏡子さんというベストパートナーを得たことを心から祝したかったのである。学識のあった漱石もまた一瞬にして「詩経」の一節を思い描いたのだろう。 |
2019年09月12日 世に一冊だけの写真集
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ところで、我が同窓会には文化祭と称する行事があり、有志が芸術作品を持ち寄ることになっている。私は3年ぶり二度目の出展をすることにした。熟慮した結果、同級生の目を汚す訳にはいかないので、阿蘇山の色鉛筆画とシルクロードの写真集という無難な二品を選んだ。 果たして文化祭の当日は、思い思いの作品がジャンルを問わずに集合した感があり興味深かった。世話人の話では、私の作品ではシルクロードの写真集が評判が良かったそうで一安心した。この世に一冊だけの写真集は、旅の記憶を呼び覚ますために写真専用サイトで作ったものである。過去に10冊ほど作っているが、よくしたもので後になるほど編集がうまくなり写真集の完成度は高くなっている。あと数冊は写真集を作ってみたいと思っている。 |
2019年08月26日 「自ら」と「自ずから」
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この間熊本では、会を発足して能を普及する活動が始まるなど一般の関心を高めようとする動きが出て来たのは好ましい。よく知られていないが、熊本は加藤清正から細川家治政の長い期間、能楽が極めて盛んな所であったのだ。 2年間の練習の成果は確かに出ていることは出ている。仕舞いや謡の基本が少しは身に付いている実感はある。しかし、未だ先生の所作や発声を真似するのに精一杯であり、一人で舞う時には必死に思い出して再現しているに過ぎない。ある意思を持って行動することを「自ら」と言い、自然と動く境地を「自ずから」とするならば、私の場合は万事が日暮れて道遠しと言わざるを得ない。 |