芭蕉林通信(ブログ)

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2018年09月26日 豪潮さんの辞世の句

 江戸時代の僧である豪潮さんは熊本が生んだ名僧である。尾張藩から招かれて晩年をその地で過ごしたが、宝筐印塔(ほうきょういんとう)を全国に千基建立する発願を立て実行した僧である。全国的には白隠さんや仙高ウんが知られているが、地元熊本では豪潮さんの人気は今なお高い。生前から書と画に秀で、白隠さんや仙高ウんの作品のように軽みがない分庶民性はないが、その結果真面目な作品が多く残されている。

 最晩年87歳の時の辞世の句を書いた一巻がある。そこに記された一句は、「父母に呼ばれてかりの客に来て 心のこさずかへる古郷(ふるさと)」というもの。仮の世にいると思えば、毎日いただくものはすべて馳走であり、兄弟喧嘩や夫婦喧嘩などはばかばかしい。父母が待っているあの世に帰るのがありがたいと言った趣旨の説明がついている。

 身近な人を亡くすのは悲しいことであるが、豪潮さんの辞世の句を思うと心から慰められる。死とは将来必ず自分の身に起こることだが、その時は同じ心境に立ちたいと思っている。

2018年09月18日 第410回御能組

 熊本の秋の祭り「藤崎八幡宮例大祭」が秋晴れの下無事に終了した。9月16日は前日の雨も上がり爽やかな祭り日和となり、早朝から随兵行列や獅子舞、馬追いを見る人で沿道は賑わった。

 この祭りでは、地元の人にあまり知られていない奉納能が段山御旅所(だにやまおたびしょ)能楽堂であった。藤崎八幡宮の神様に奉納する能であり、人間はついでにご相伴に預かるのである。加藤清正の時代から始まり、今日まで400年を超える歴史は郷土の誇りでもある。

 「御能組」という呼び方からして、能役者が祭りに参加している感覚がある。その「御能組」の今年の演目は、「翁」「高砂」「田村」「舟船」「半蔀(はしとみ)」「竹生島(ちくぶじま)」と豪華多彩。はしたないがこれらが無料で見られるのである。かくいう私もすべての演目を通して見たのは初めてであり、改めて各演者の磨かれた技にいたく感動した。

2018年09月10日 北海道地震と方丈記

 北海道で起こった地震は2年前に熊本を襲った地震を思い起こさせた。熊本の地震では、2千年に一度の確率とされた地震がなぜ今起こるのかと疑問に思うと同時に怒りを覚えたものだ。そして今回も地震学者のコメントに再び驚かされた。今回の地震は未知の活断層が震源である、よって未知の活断層である以上は日本全国どこであろうと震度7クラスの地震はあり得ると言うのである。

 そこで天災を随筆にしたことで知られる鴨長明の「方丈記」を改めて読んでみた。冒頭から、京を襲った火災、つむじ風、飢饉、地震、そして平清盛の福原遷都という人為的な災難まで一気呵成に書いてある。飢饉では京の都の半分で死者を数えたら四万人を超えたとあるぐらいだから、その悲惨さは半端でなものではなかったはずである。まさに、日本列島は天災を宿命づけられた風土なのだろう。

 世界の大河としては、黄河、インダス川、チグリス・ユーフラティス川、ナイル川、ミシシッピー川、アマゾン川があり、前の四つの大河ではいわゆる4大文明が花開いたが、後の二つの大河では文明が生まれなかったと歴史学者トインビーは言っている。文明を生んだ四大河では氾濫があり、二大河では氾濫がなかったのである。だとすれば、天災と無縁ではない日本という国は、天災を乗り越えて来た歴史の中で、強靭な生き残りの知恵を育んで来たと言えるのではなかろうか。素晴らしい文化も一緒に。

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