2019年04月19日 想いでの人々(その5 中野正夫おじさんとその家族)
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暢子さんは母と同年で独身だったので、私をまるで息子のように可愛がってくれた。暢子さんからは大学は両親と同等かそれ以上の学校に合格しろと発破をかけられ誓約書を書かされたり、突如東京に私を連れて行き、これが東大の赤門だと見せられたりした。 私にとっては中野家はいつしか東京から熊本へ帰省する際の休憩基地となり、お陰で奈良の寺社仏閣を数多く訪ね歴史・文化に触れることができた。正夫おじさんは達筆であり、出雲和紙の巻き紙に墨と筆でしたためた手紙は保存している分だけでも10通を超える。ある時には、私からの手紙の名前が小さ過ぎる、人物まで小さくなるから大きな字で名前を書きなさいと指導された。今でも手紙をしたためる度に思い出す貴重な教えの一つである。 |
2019年04月15日 想いでの人々(その4 稲垣元肥後銀行頭取)
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主に二つの接点があり、一つは熊本経済同友会、もう一つは大学の同窓会であった。稲垣さんは性格は温厚で知的、どちらかと言うとバンカーというより学者ぽかった。同友会では代表幹事として活躍されたが、私は副代表幹事として仕え、ご下命により「くまもとフーラム」などの新しい活動の立ち上げをしたりした。どういう訳か、稲垣さんから私は過大評価されており、その分張り切りざるを得ないという面があった。 また稲垣さんを中心とした毎月開催の読書会があり、稲垣さんの名である精一からとって「精読会」と命名されていた。参加者がいい加減な読書感想を述べると、最後に発言される稲垣さんは大学ノートに書き留めたメモを見ながら、数々の知見を披露されるのだった。そうした稲垣さんが熊本から東京へ住居を移される時に、同窓会支部長の後任に指名されたのは、私の名誉でありいささか荷の重さを感じたことを覚えている。 |
2019年04月01日 想いでの人々(その3 江頭味の素元社長)
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熊本という地縁、大学同窓という学縁により終生アドバイスを受けることができた。東京支社長の江頭さんを五反田に訪ねた時には、味の素の売上の3分の一は俺が作っていると語り、社長秘書、組合委員長を歴任したことを自慢する自信家であった。そして、毎週英会話の勉強や経済学のセミナーに参加する努力家でもあった。 全国的な流通業界事情を教えていただいたことも再三だったが、印象に深く残っているのは、ご自身の健康管理だった。手帳を取り出して昨年の一日平均歩数は1万何歩とか、毎月病院に行って健康診断をしてもらっているとか話された。激務の社長業を努めるには、接待があっても二次会には行かない、社長車には毛布を置きこまめに仮眠するなど秘訣を伝授された。味の素の歴代社長が長生きされる伝統があるだけに、江頭さんの逝去は早すぎるものであり、私は頼りになる先輩の一人を突然失ったのである。 |