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「読み書きそろばん」は商人の基本と言われてきた。一般庶民は江戸時代から寺子屋で勉強できたので、当時の日本人の識字率は世界一だった。そのことが明治維新後の近代化に大いに寄与したことは識者が指摘しているところである。しかし変化の激しい、予想のつかない現代社会にあっては、「読み書きそろばん」だけでは乗り切れないと思う。もちろん日本では多様な教育が試されようとしている。しかし、語学力がなければ海外の人とのコミュニケーションは難しい。自己の頭で考えて衆人の前で堂々と発言しなければ、存在しないかのように扱われるのがグローバル社会の現実である。 アメリカのトランプ大統領の記者会見で、敵対関係にあるマスコミ関係者が大統領の暴言にひるむ事なく、ほぼ全員が力強く質問の手を挙げているのに感動した。権威に屈せず、真実を求める姿勢が全身から溢れていた。彼らは幼少のときから学校で、自ら考え、発言する能力を徹底して鍛えられているはずである。(アメリカに住む姪は、中学時代にディベイト・コンテストに参加し優秀な成績を収めた) ところで、世界の大学ランキングが発表されたが、残念ながら日本の大学は100位以内に2校選ばれたのみである。教育は国家100年の大計というが、このままでは日本の競争力の未来は暗い。金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上という格言を改めて噛みしめている。
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とうとう春の風邪を引いてしまった。会食したあと、寒い中を歩いて帰ったのが良くなかった。朝目覚めたら喉がいがらっぽくて慌てた。昨年末から今年にかけてインフルエンザが猛威をふるっている。自分としては珍しくインフルエンザの予防接種を11月中には済ませ、帰宅のたびにうがい・手洗いを励行していただけにショックだった。 まず心配したのは新型のインフルエンザにかかっていないかということ。もしかかっていたならば、会社の同僚に移す訳にはいかないのである。他人に移せば治るなどの迷信を信じていては、会社の業務に支障が出てしまう。自分ながらまだ軽いとは思ったものの、すぐに病院に直行してインフルエンザの検査をしてもらった。今は検査といっても簡単なもので、鼻の奥に綿棒を突っ込んで粘液を取るだけである。幸い検査の結果は陰性、軽い風邪の症状と診断された。 今年ほどマスクをしている人が多い年は初めてである。既に病気にかかっている人がいるかも知れないが、多くは予防のためのようである。若い女性がマスクをしているのを見ると、自然目だけを見て顔全体を想像することになるので色っぽくてしょうがない。怪我の功名ならぬ、マスクの功名か。あろうことか今月の俳句の兼題に「春の風邪」を選んだのは私自身、その責任を問われたのかも知れない。
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最近、「雑草」という書を見た。これを書いたのは、熊谷守一という画家であるが、枯れた感じの書は今でも人気がある。彼は90歳を超えてなお貧しい生活に甘んじて仙人のように生きた人で、絵や書はその人の生き様と重なるのである。従って、他の書家が書かないような言葉が多く、「雑草」以外にも「蒼蝿(あおばえ)」などを書いている。 さて、この「雑草」という書を見て感じたことを記してみたい。まず、昭和天皇が「陛下、これは雑草です。」と言った人に対して、「君、雑草という名の植物はないよ。」とおっしゃったエピソードである。うーーん、これは含蓄がある。さすが天皇陛下と思う。雑草辞典を買って見たところ、確かに雑草それぞれに立派な名前が付いていることにびっくりしたことがある。人間社会においても阿部首相やトランプ大統領だけが名前を持っている訳ではない。皆んな、それぞれに立派な名前を持っているのだ。 それでも「雑草」の書に惹かれるのはなぜか。もちろん、その書に気品があり、素晴らしい墨の色が出ているのは間違いない。大事なのは、「雑草」の書に秘められた意味なのである。私が雑草からイメージするものは、たくましさ、生命力、不人気、無名性、栄華とは無縁。こう考えると、まさに熊谷守一の人生観につながる。自分の役割を果たすことができさえすれば、市井(しせい)の人、普通の人、一般の人だからこそ人生は良いのではないか、と思わせてくれるものが「雑草」という書にはあると思う。
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