2017年07月03日 バブル始末記
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そこで私がバブルとどう付き合ったか思い出してみた。幸いだったのは当時は地域の食品問屋である本業が大変な時期であり、また賢明な父も健在であり、不動産や株式に投資する考えは毛頭なかったことである。しかし、父が亡くなった時にはさすがに歯止めがなくなり、当時流行っていた財テクに挑戦したり、ゴルフ会員権を高値買いしたことがあったのは身の不明としか言いようがない。 ただ、その時は既にバブル崩壊の兆しがあり、早く終戦処置をし傷口を広げずに済んだのは幸いだった。あの頃は、大半の銀行が土地神話を元に融資競争に走り、バブル崩壊後は一転して貸出しの回収に邁進するという変節ぶりを示した。その変節ぶりを見た時に、私を育ててくれた興銀の良き時代は終わったと感じたのだが、その予感は後に現実化したのだった。 |
2017年06月27日 パッヘルベルのカノンを聴けば
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津田塾大には中学時代の同級生がいて、弦楽合奏団でバイオリンを弾いていたのでその発表会を聴きに行ったのである。今でも鮮明に覚えているのは、サークル名が「アンサンブル・フィオリータ」であり、初めて聴いた「パッヘルベルのカノン」が実に美しい調べだったことである。当時の故郷の実家では音楽を聴くという習慣がなかったことを思い出す。朝市に面した商売屋では、クラシック音楽を聴くほどの心の余裕がなかったのであろう。もっとも父は美術には関心が強かったが。 かくして、今でも「パッヘルベルのカノン」を聴くと、気持ちは一気に50年前にタイムスリップするのである。青春時代の感性は自分の実年齢を忘れさせてくれる魔法の薬でもあるようだ。そういえば、介護施設でリハビリ中の母も、若かりし頃のエピソードを話す時は目を輝かすのである。 |
2017年06月19日 幸せになる条件
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印象深い話が多かった中で、日本とは違うなと思ったことがいくつかあった。例えば、フランス語には頑張るや我慢するといった単語はない。子供が最初に覚える言葉はノン(いや)。一番大事な価値観は自由。歳を取ってからこそ美しくなる。法律は現実に合わせて柔軟に変えられる、などなど。 その中でもなるほどと感心したのが、幸せの四つの条件である。1好きな人と会う 2好きなことをする 3好きな場所に行く 4好きな物を持つ。聞いてみればごく当たり前のことである。しかし社会的なしがらみや個人的な我慢から、我々が意外と実行できないのがこれら四つの条件であろうと感じた。 これからは高齢者の特権として、我慢はせずに不義理もして、好きなことだけをしたいと改めて思った。 |