2016年11月08日 経験値も記憶あってこそ
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さて経験と言えば、哲学者森有正の「遥かなるノートルダム」と読んでいて、森氏がさかんに経験こそが人生そのものだといった類いの主張をしていることに驚かされた。経験という言葉との私の出会いは、大学受験の際、「体験と経験の違いを記述せよ」との出題があった時からだが、経験ということが仕事をする上で大切なのは一応正しいと言っておこう。一応と付けたのは、経験がこだわりとなると新しい発想や行動を制約することがあるからだ。素人 的発想を奨励するのはこういう時に起こる。しかしなお、豊かな経験を積むことは大切であることは論を待たない。しかも成功と失敗の両方の経験から学ぶことが望ましいのである。
ところが昨日、89歳になった母と話をしていて愕然とした。母は最近は夢と現実の境を行ったり来たりしているのだが、昨日は一人で奈良にまで行って来たと真顔で言うのである。奈良では昔住んでいた家に行き懐かしかったが、誰にも会わなかっと言う。さらに母は、その街までどういう手段で行ったか全く分からないと言うのだ。 母が誰にも会わなかったというのは、ただ単に昔会っていた人達を忘れているからなのである。過去に会った人の名前が記憶から完全に消し去られている。そうだ、記憶がなければ経験にはならないのだ。 |
2016年11月01日 仕事の質とは
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生活の質というものがあるのならば、仕事の質というものもあるのではないかと思い、次の三か条を思いついた。 1 社会的意義がある 2 自分の能力を発揮できる 3 良い仲間や相手先に恵まれる その仕事に社会的意義があれば、何もやましいことはなく、堂々と仕事に挑戦できる。また、成果を出し社会を豊かにできれば、やりがいにもつながる。 自分の能力を発揮するという点では、身近にいろんな事例を見ることができる。最近聞いた話では、有名大学を出た女性が就職した大手会社を辞めて、太極拳のスクールを開設したという。この女性にように自分の好きなことを職業にするほど楽しいことはないだろう。 良い仲間や相手先に恵まれるという点では、論語の「修身、斉家、治国、平天下」を思い出す。まずは自分を確立させ、そして家族に恵まれて初めて社会活動が円滑にできるということだろう。別に国家や天下を担うばかりが立派な訳ではない。仮に一庶民だとしても、自分の仕事を支えてくれる家族や友人に恵まれるのは嬉しいことだし幸せだ。 年齢を加えてくると、自分は生きているのではなく生かされているという感覚に変わってくる。晩年もそう捨てたものではないと思いたい。昨晩のテレビでは、「私は老いたのではない、熟したのだ。」という言葉が紹介されていた。甘みを出す熟し柿のように、これからも仕事の質、生活の質を追求して行きたい。 |
2016年10月26日 チャンバラごっこ
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店頭にある品物は藁俵(わらだわら)や木樽、木箱などだが、今から約55年前、昭和35年頃の食品問屋の店頭が結構乱雑だったのに驚く。当時は二階が6人家族の住居だったので、今で言う住居併設店舗であり、自然と遊び場は仕事場と重なっていたのである。 ときどき従業員からは、商品の上に乗ってはだめだと怒られたりしていたが今となってはしごく当たり前のことである。しかし当時は何にしてもおおらかだった。腹が減っては店頭に並んでいたスルメの足を1~2本くすねて食べたりしていたのである。その頃目覚めるのは、早朝店の前を通る大八車の車輪の音を聞くからであり、家を出ると馬車を曳かされた来た馬の馬糞が湯気を立てて落ちていたりした。子供のけんかが佳境に入ると、馬糞を投げつける輩(やから)も登場するのであった。もっとも、馬糞の常として、馬糞は敵に到達する前に空中分解するのであるが。 日々の変化は見逃し易いと言うが、こうした写真を見ると変化は歴然である。変化の先には何があるのか知るためにも、過去を振り返る時が必要だを思う。 |