2016年09月12日 随兵寒合(ずいびょうがんや)
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	 若い人と時候の挨拶をしていて、「やっと涼しくなりましたね」と言われたので、つい「随兵寒合だものね」と答えたら、全く分かってもらえなかった。言葉は生き物だから、使用されなければ死語となっていく。今日まで地球上で数知れない言語が使われなくなり、忘れられていったことを思う。言葉がなくなるということは固有の文化も同時に失われるということだ。 地域の特徴ある風景がなくなるように、地域固有の美しい言葉がなくなるのは悲しいことだ。こういう私にしても、東京でしばし生活したおかげで日頃は標準語で話している。これからはできるだけ方言を使い、歴史的文化的な背景のある言葉を若者に伝えていきたい。 | 
2016年09月06日 バンコックの土産話
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	 バンコックは広い平野が極端なほどの低地のため、2011年の大水害で日本を含む多くの企業が洪水の被害にあっている。今回は水産加工品を全量日本へ輸出している合弁企業を訪問した。驚いたのは、作業員の9割がミャンマーからの出稼ぎ労働者であり、最低日給が300バーツ(日本円換算で約900円強)という点である。現時点では、むしろ中国よりも人件費が割安になっていないかという疑問が起こった。 
	 今回は団体旅行のために、トム・シンプソン宅や骨董街に行けなかったのは残念だったが、象に初乗りすることができたのは良い思い出となった。    | 
2016年08月30日 物に執する
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	 あれは、かつて勤めていた銀行の調査部時代のこと、自身初めての海外出張をした時のことである。調査テーマは「アメリカにおける日本企業の不動産投資」であり、西海岸は大手会社の幹部と同行、東海岸は単身出張となった。ロサンゼルスからニューヨーク行きの飛行機の中で機内誌を読んでいると、首都ワシントンにあるオルゴール店の記事が目に入ってきた。ニューヨークの次は、ワシントンの日本大使館を訪問する計画だったので、そのオルゴール店に行こうと決心した。  こうした経緯がある品物だから、たとえ壊れて動かなくても曲が流れなくても私にとっては大切な宝物なのである。身近な物をスケッチするという行為は過ぎ去った過去の記憶を取り戻す行為と相似している。 |