芭蕉林通信(ブログ)

HOME > 芭蕉林通信(ブログ)

400件〜402件 (全 744件)   <前の3件     ・・・   130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137 | 138  ・・・   >次の3件

2016年11月17日 トランプのTシャツ

 アメリカ出張したお取引先の社長から、ヒラリーとトランプのTシャツを見せられた時は、正直ヒラリーのTシャツをもらいたかった。大統領選の街頭インタビューが東京であっていたが、選挙前の50人の意見では、時期大統領にふさわしいのはヒラリー46、トランプ4だから日本人のヒラリーびいきは明らかだ。それにしても予想を覆す大統領選の結果であり、一挙に円高が進むかと身構えたのだが、円安に振れたのだからマーケットは分からない。投資家ではないので、このあたりのマーケットの機微は苦手というしか言いようがない。

 さて、せっかくいただいたトランプのTシャツには、顔写真と一緒に「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」の文字。大統領選の前日、密かにこのTシャツを着て、その上にビジネスシャツ、ビジネススーツを着て街に出てみた。そして、筋トレをしているので筋肉がついた。その筋肉を見せようを嘘とつき、やおらシャツのボタンを外し、中からトランプのTシャツを見せて大いに周りを喜ばせたのである。この時点では、大統領選の結果はヒラリー勝利と信じていたので、まったく先見性のないおふざけをやらかしたものだと少し反省している。

 そして大統領選が終わった今の関心事は、ヒラリーとトランプのTシャツのどちらに価値があるかという点である。

2016年11月08日 経験値も記憶あってこそ

 挑戦しない限り成功も失敗もない、と言われればその通りだと思う。来し方振り返ってみても、事業面では随分と失敗と成功を繰り返して来た。数では言えば失敗の数が多いような気もする。日経の朝刊を読んでいると、ワコールの塚田社長が創業70周年の広告の中で、フローズンヨーグルトやその他の新規事業で失敗したおかげで本業の大切さに目覚めたと語っていた。経営者や起業者にとっては、新規事業への挑戦とその失敗は必ず経験しなければならない通過儀礼のようなものだろう。

 さて経験と言えば、哲学者森有正の「遥かなるノートルダム」と読んでいて、森氏がさかんに経験こそが人生そのものだといった類いの主張をしていることに驚かされた。経験という言葉との私の出会いは、大学受験の際、「体験と経験の違いを記述せよ」との出題があった時からだが、経験ということが仕事をする上で大切なのは一応正しいと言っておこう。一応と付けたのは、経験がこだわりとなると新しい発想や行動を制約することがあるからだ。素人 的発想を奨励するのはこういう時に起こる。しかしなお、豊かな経験を積むことは大切であることは論を待たない。しかも成功と失敗の両方の経験から学ぶことが望ましいのである。

 ところが昨日、89歳になった母と話をしていて愕然とした。母は最近は夢と現実の境を行ったり来たりしているのだが、昨日は一人で奈良にまで行って来たと真顔で言うのである。奈良では昔住んでいた家に行き懐かしかったが、誰にも会わなかっと言う。さらに母は、その街までどういう手段で行ったか全く分からないと言うのだ。  母が誰にも会わなかったというのは、ただ単に昔会っていた人達を忘れているからなのである。過去に会った人の名前が記憶から完全に消し去られている。そうだ、記憶がなければ経験にはならないのだ。

冒頭から経験が重要だと言ってきたが、それは記憶として残っているからこそ経験と言えるのであり、記憶に留まっていなければ経験とは言えないのである。気がつかない内に貴重な経験を随分と失っているのが普通の人間である。そして経験に基づき賢明は仕事をするには、一定の記憶力が必要であると思い至った。  

経験と記憶は賢明にかつ平和に生きる要件なのだ。

2016年11月01日 仕事の質とは

 立松和平の「晩年」という本は読んでいて面白かった。人生で出会った人との別れが情感たっぷりに、あるいは愛惜を込めて書かれていた。私自身も、晩年になりもし不治の病を宣告されたならばどう受け取めるのだろうかと考える年齢になった。頑張って厳しい治療に挑戦するのか、あるいは生活の質(クオリティ・ライフ)を選択し、治療を避け静かな日常を選ぶのかはその時になってみないと分からない。

 生活の質というものがあるのならば、仕事の質というものもあるのではないかと思い、次の三か条を思いついた。 1 社会的意義がある 2 自分の能力を発揮できる 3 良い仲間や相手先に恵まれる

 その仕事に社会的意義があれば、何もやましいことはなく、堂々と仕事に挑戦できる。また、成果を出し社会を豊かにできれば、やりがいにもつながる。  自分の能力を発揮するという点では、身近にいろんな事例を見ることができる。最近聞いた話では、有名大学を出た女性が就職した大手会社を辞めて、太極拳のスクールを開設したという。この女性にように自分の好きなことを職業にするほど楽しいことはないだろう。  良い仲間や相手先に恵まれるという点では、論語の「修身、斉家、治国、平天下」を思い出す。まずは自分を確立させ、そして家族に恵まれて初めて社会活動が円滑にできるということだろう。別に国家や天下を担うばかりが立派な訳ではない。仮に一庶民だとしても、自分の仕事を支えてくれる家族や友人に恵まれるのは嬉しいことだし幸せだ。  年齢を加えてくると、自分は生きているのではなく生かされているという感覚に変わってくる。晩年もそう捨てたものではないと思いたい。昨晩のテレビでは、「私は老いたのではない、熟したのだ。」という言葉が紹介されていた。甘みを出す熟し柿のように、これからも仕事の質、生活の質を追求して行きたい。

400件〜402件 (全 744件)   <前の3件     ・・・   130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 | 136 | 137 | 138  ・・・   >次の3件