芭蕉林通信(ブログ)

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2016年05月30日 布田川断層地帯を歩いて

 熊本地震の被害が大きかった益城町に用事があったので、断層の名前の由来となった布田川を見に行きました。事前に地図で確かめていたのですが、実際に見て布田川が小さな川であることに改めて驚きました。流れる水の少ない小川で、この下に凶暴な活断層があるとは到底思えません。川の手前が住宅地とすれば対岸は一面に田や畑がのんびりと広がっています。つまり、郊外のベッドタウンに隣接した自然の小川といった感じなのです。  歩き始めた当初格別被害が大きい場所とは思えなかったのは、崩れた家があるものの全く平常な家が数多く見られたからです。しかし、なお初めての道を辿ると、次第に揺れが激しかったと思われる地区に脚を踏み入れることになりました。そこにあった小さな公園の地面は多くの地割れができており、隣接した比較的新しいと思われる家は傾いており既に住む人はどこにも見当たりません。土地が沈下したのか、マンホールが地面からせり上がっており、その差は1メートルはありそうです。その通りにあるコンクリート製の電柱はことごとく折れたり、地面から斜めに曲がっており、電線が垂れ下がって危険さへ感じました。被害が余程大きかったのでしょうか、未だ行政の修復の手は入っていないようです。

  今回の地震では多くの方から安否を問う電話やメールをいただきましたが、昔建設省でお世話になった方からは専門の下水道について貴重なな示唆をいただきました。それは下水処理ができなくなればトイレの使用もできなくなるという事実です。私たちは一概に停電や断水ばかりに関心が向かいがちです。しかし話を聞く内に、熊本にある下水道処理施設の内二つがダメになり、残る一つだけで全域をカバーしていたという事実には肝を冷やされました。  人間が普通に生活を営む上で、多種多様なライフラインに依存していることを痛感させられる日々を今なお送っています。


2016年05月23日 楠若葉きみ植えませば肥後の野に清らに立ちてをとめら歌ふ

 今回の地震は余震が多く、すでに震度1以上が1400回を越えました。毎日会社や自宅が揺れる度に、これは又本震ではないかと疑心暗鬼になるのが通例となっています。そうした状況下で思いついたのが、地震と女性には共通点があるということです。それは、「地震と女性はなかなかホンシンが分からない」ということです。もっともこれは男の理屈ですから、女性からしたら「地震と男性はなかなかホンシンが分からない」と言っても差し支えないと思います。それにしても周りの人に披露すると面白い反応がありました。「地震と女性はオコルと怖い」、「地震と女性は急にオコル」。  
さて、地震を経験して変わったこととしては、物に対する執着心が薄れたことです。大事にしていた物が壊れたり傷ついたりすれば、一種諦めの境地となり、命あっての物種と思うしかありません。また、無一物無尽蔵などと嘯(うそぶ)いたりして、できるだけ物を持たないのが豊かなのではないかと思ったりしています。つまり、物がなければ心配することもないのですから。

 そうした日々を送る中で身辺の保管資料をも片付け始めたのは、世界で300万部が売れ大ベストセラーとなった近藤麻理恵さんの「人生がときめく方づけの魔法」を本棚から見つけたからです。ある一節には、「書類は全捨てが基本」と書いてあります。そこで俄然やる気を出して書類の整理を始めたという訳です。  
整理している内に、一冊の手帳に書き留めていた美智子妃殿下の和歌を発見しました。美智子皇后ではなく美智子妃殿下であるのは、歌が昭和62年の歌会始のものであり、昭和天皇が在位していらしゃった時のものだからです。熊本を詠った歌に感激した私が思わず書き留めていたに違いありません。そして今地震の被害に涙を流す熊本県民の心を慰めるようなまさに清らかな歌であることに感激しました。楠若葉と言えば、熊本の県木である楠が新芽を出す5月そのものでもあるのです。

楠若葉 きみ植えませば 肥後の野に 清らに立ちて をとめら歌ふ
妃殿下

 さらに調べてみますと、昭和60年5月12日には全国植樹祭が熊本で開催され昭和天皇がご来臨されています。きっと当時29歳の美智子妃殿下はその時の情景を詠われたに違いありません。  
その全国植樹祭があった時の熊本県知事は細川護煕さんでした。植樹祭のしばらく後に細川知事に会った際、知事から直接に昭和天皇のエピソードを聞いたことがあります。細川知事が全国植樹祭の開催された阿蘇の会場を案内された時、次のような会話があったそうです。
細川知事 「陛下、今日は天気が良くよろしゅうございました。」
昭和天皇 「細川、ヨナが振って皆は苦労しているのではないか?」
ヨナとは火山灰のことで、天皇はヨナが農作物に降り注ぎ農作物をダメにしているのではないかと心配されたのです。細川知事はそうしたことに気づかなかったことを恥ずかしく思うと同時に、天皇はさすがに民の生活のことまで常に考えていらっしゃるのだと感激したそうです。
今回も熊本地震に対して、天皇皇后両陛下が高齢を押して熊本にまで脚を運び被災者を慰労してくれましたのは、天皇家に脈々として伝わる国民を想う気持ちから出たものとすんなり納得できたのです。

2016年05月13日 本震の記憶

 余震に怯えながらも1日が過ぎ、早く寝ようと11時過ぎにはベッドに入った。いつしか眠りについた4月16日、日付けの変わった深夜1時25分、突然の強い揺れが地面から突き上げるように起こり愕然とし一瞬で恐怖に陥った。極めて強い揺れは僅か15秒ぐらいだったか。停電のため、暗闇の中で何が起こったか分からない。必死で懐中電灯を探すが見つからない。やっと探した懐中電灯の光で周りを調べたら、聖徳太子の木像始めベッドサイドの置物は全て落下。よく落下物が頭に当たらなかったものだとほっとする。 書斎に行くと、再度の激震で目も当てられない惨状。前日に割れそうな物は棚から下ろしていたものの予想に反して今度は本類が大量に落下している。大事にしていた陶製のキューピーは無惨にも破壊され、愛用の硯にはキズがつくなど被害は一挙に拡大した。晩酌の友である盃や徳利は無事でほっとしたが、玄関に置いていた星野焼の壺は残念ながら割れていた。

 家を出ると、深夜2時近くにもかかわらず道路に近所の人たちが不安げに集まっている。余震がおさまりつつあると思っていただけに、桁外れの本震に皆のショックは隠せない。車で避難するという人がいたので、我が家も万が一に備えて駐車場のシャッターを開けようとするが、電動式のために停電で開かない。手動で開けようと懐中電灯の光で必死に操作するがどうしても開けられない。諦めかけた時に通電。急ぎシャッターを開けた。深夜テレビは一斉に大地震の発生を報道。後で分かったが、今回の地震はマグニチュード7.3 震度7でこれが本震という。 被害の全容は朝になってから徐々に明らかになったが、被害の甚大さに改めて衝撃を受ける。活断層が通っている益城町や南阿蘇村に被害が集中している。ショックだったのは、前震で痛んでいた熊本城の天守閣の瓦がすっかり剝落したばかりでなく、長塀は倒壊、重要文化財の宇土櫓の続き櫓や他の多くの櫓も崩壊。ジェーンズ邸も完全に崩壊した。阿蘇では土砂崩落で阿蘇大橋がなくなり、57号線は寸断した。阿蘇神社の楼門、拝殿も倒壊。死者は41人を超え、余震回数は400回を越えた。被害はどこまで、いつまで続くのか不安がつのる。 

 報道が伝えるには前震が日奈久断層だったのに対し、本震は布田川断層であること、そしてその延長線上に南阿蘇、大分があることなどである。この本震は前震の16倍のエネルギーがあるというから恐ろしい。 南阿蘇では、地獄温泉清風荘で51人が孤立し、自衛隊のヘリコプターで救出された。その近くにある山口旅館では滝の湯が崩れ落ちたというが、大好きな露天風呂だっただけに信じたくもない。 南阿蘇に自宅を新設したばかりの一家が気になり、やっと繋がった電話では一家は道の駅に避難し車中泊したと言うのでとりあえず安心した。テレビ画面には阿蘇大橋の滑落や火の鳥温泉の土砂崩れが繰り返し出てくるので息を飲む。 これは悪夢であって欲しいと思うが、現実に目を背ける訳にはいかない。これから1週間の予定は全てキャンセルする。ただ、今のところ自宅は電気、水(後に断水)、プロパンガスがあるのは有り難い。災害の時にはトイレが深刻な問題だと指摘した大阪のコンサルタントの先生のアドバイスが身に染みる。

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