芭蕉林通信(ブログ)

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2016年03月28日 本の始末

 今まで集めていた本の整理をしなければならない羽目になり、本を置いている場所で作業を始めたものの、本の整理には基本方針がないと先に進まないことが分かりました。当初はすべての本を別の場所に移動させようと考えたのですが、それでは本の選別を先送りにするに過ぎないのです。ここは断捨離の出番、トキメキ整理法の出番です。

 ただ本の整理をしていて面白く思うのは、本によって自分の思想史を見る気分になるからです。昔買った本を手に取ると、その時の自分が置かれた立場、何に悩み、何を求めていたかを思い出します。古本に囲まれたまま、つい座り込んで一冊の本に熱中したりするので、さらに整理が捗らなくなります。でも、急ぐ作業でないのならば、久しぶりの本との出会いを味わうことが至福の時となるのです。  選別を進めると蔵書の約8割は処分すべき本であり、意外と残す価値のある本が少ないことが分かりました。時事に関する本や小説の類いは旬がある訳ですから、今日では読むべき物ではあらずという思いです。スパイ小説もかつての冷戦構造を前提に書かれているのは、今では古い感じがするので残す気になりません。かくして古典として残る本は一握りとなるのです。

 私の知り合いが蔵書を全部処分したら本当にスッキリしたと言っていましたが、その気持ちがよく分かります。ましては、年齢的にはモノを集めるよりはモノを減らす歳になったのですから、いらぬ本は早めに処分して本を購入する時には俄然慎重にしたいと思っています。それにしても本の整理は腰に堪えます。

2016年03月23日 漢字を調べる

 漢字が日本に伝わるまでは話言葉があるだけだったなんてことは、活字が溢れる現代社会では想像できないことです。万葉集を読んでみますと、万葉仮名という漢字が当て字として長歌や返歌、あるいは今日言う短歌に使われており、解説なくしては到底読めるものではありません。つまり飛鳥・奈良時代は漢字が中国から輸入されたばかりだったのです。  生まれ故郷である中国では共産党が識字率を上げようとして漢字を略体字にしたことにより、漢字の古い形がむしろ日本に残ったという事実は歴史上の奇跡であるように思います。そして日本人は漢字から「ひらがな」を創造し、平安時代の「枕草子」や「源氏物語」が女手としてひらがなで書かれるに至っては歴史上のロマンであり、日本人の類い稀な感性があってからこそと誇らしくもなります。

 表記語である漢字はもともと象形文字から発生していますので、漢字自体に多様な意味、背景、その時代の政治・習俗が隠されているというのは面白いことです。従って、漢字字体の語源に遡りますと意外な事実を知ることになります。  例えば私たちが仕事をする上で商いをすると言いますが、この「商」という字が仕事に結びつくのは、かつての中国の古代王朝「殷」に遠因があります。「殷」が「周」によって滅ぼされた時に「殷」の民は亡国の民として各地に散らばって行きました。かれら末裔は「殷」から「商」と呼び名が変わりますが、多くの人が仕事熱心で商売上手であったのでいつしか商人が仕事を上手にする人の意味になったのです。

 もう一例をとりますと、「創」には新しいものを作り出すという意味がありますが、さらにもう一つ語源的意味があります。それは「絆創膏」に「創」という字が使われていることから分かることですが、もともとはキズの意味があります。工作をする時、板や紙を加工しようとすれば、必ずその形状を変えようとしてナイフやハサミでキズをつける事から工作は始まります。そのキズが創造の当初の姿なのです。  いちいちここで漢字の解説をすることはできませんが、もしご興味のある方は著名な漢字学者であった伊集院静さんの多くの著作を参考にされると良いと思います。今でも私は暇を見つけては気になった漢字を調べて一人で楽しんでいます。

2016年03月14日 40年前の金利

 今年になって日銀がマイナス金利を導入すると発表した時には一瞬訳が分かりませんでした。新聞などの解説を読んで何とか理解することができましたが、金融緩和の一環として導入されたマイナス金利はその後の円高・株安もあり一般的に不評なのは日銀もいささか運が悪いと言えそうです。

 私が銀行員として社会人生活をスタートさせたのが1973年、第一次オイルショックの年でした。思えばあの年から原油価格は長年の1バーレル1ドルという水準から大幅に上昇して行ったのです。そして1976年に融資課に配属された時、忘れもしませんが長期プライムレート(最優遇金利)は8%でした。5年ものの利付金融債は年6〜7%でしたから、行員間では1億円預金があれば毎年6〜700万円の利子が入るから利子だけで食べていけるねと話したものです。  さらに企業に貸し出しする場合は、オーバーローン(預金残高を越えての貸し出し)時代なので、銀行は貸し出しに必要な資金がいつも不足していたのです。例えば、工場を作りたいと5億円の借り入れ契約を締結した企業に対しても一度では融資できないのです。当時は分割貸し付けと称して、一回目が1億円、二ヶ月ごとに1億円を4回、合計で5億円といった具合です。工場建設を急ぐ企業にとってはたまったものではなかったでしょう。

 こう考えてくると、当時と現在の金融事情の違いに驚かざるを得ません。その違いの背景をここで解説することはできませんが、若い人には想像のできない世界でしょう。私にとっては日本が高度成長期にどん欲に投資を実行していた息吹が懐かしい気がします。思えば遠くに来たものです。しかも社会経済の変化はこれからも永遠に続くでしょうし、それは「動態均衡」という現象そのものだと思います。

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