芭蕉林通信(ブログ)

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2015年12月11日 容量オーバー

 今年は暖冬気味で年末を迎えましたので、我が家では今頃になって紅葉が始まりました。当然色は悪く、紅葉したならばすぐに散るという有様です。地球温暖化を議論するパリで開催中のCOP21での合意内容が気になっています。  
ところで改めて身辺を見渡しますと、空間的・精神的に容量オーバーしているものが多いことに気付かされます。年頭には机に何もない状態で仕事を始めたのですが、年末を控え、机の上は未処理の資料や書籍でいっぱいです。小さい書斎にいたっては、積ん読ばかりの本で足の踏み場もありません。こうなると人間よりは本の方がご主人様に思えてきます。  
この状態を打開する秘策を思いつき実現したのが、会社に図書コーナーを作ることでした。不要不急の本を会社に移動させたものの、さらに新刊・古本を買い込みましたので抜本的対策とはならなかったのは誤算でした。笑い話にしかなりませんが、購入した今をときめく「トキメキ整理法」も本の山にまぎれて探すことができません。

 またこの一年は石に興味を持ち、自然の中に落ちている石を拾ってばかりいましたので、家の内外は石ばかりです。さらに落ち葉を拾う癖もあり、押し花にしたものがあちこちに散乱しています。決して「もったいない」という哲学を持っている訳ではないのですが、石でも落ち葉でも種でもコレクションにする癖が治りません。  
会社は社長の器で決まると言われますが、この点だけは全く成長がありません。新年はリセットするチャンスですので、まずは身辺のゴミを捨てる事から始めて、単純シンプルを美学として、気持ち良く歳神様を迎えたいと思っています。


2015年11月17日 テロと観光

 パリで起こった同時多発テロは痛ましい事件と言う他はありません。世界でも有数の美しい街パリを震撼させた一日を思うととても悲しく又恐ろしい気がします。日本も無縁ではない、と不安にかられます。

 それにしても、過去に出張乃至私的旅行で行ったことのあるエジプトやトルコ、フランス、スペイン、イギリス、アメリカなどがテロや治安の悪化に陥ったのはこの10数年という僅かな時間であったことに驚かされます。アメリカは毎年定点観測の意味で出張していましたが、9・11のテロ以来足を踏み入れたことはありません。エジプト旅行中には、カイロからアレキサンドリアに向かう観光バスに自動小銃を持った観光警察官が同乗しましたが、今のエジプトはその時以上に治安が悪化しているはずです。  トルコも隣国シリアの内戦が悪化し、ISが国境近くで活動しています。カッパドキヤやイスタンブールを駆け巡った時と比べ政情が一気に不安定になっています。かつてシルクロードの旅をしようとして、出発直前にウルムチで起こった暴動により、土壇場で旅行をキャンセルしたこともありました。民族自立、宗教的対立、抑圧への抵抗、貧富の格差、大国の覇権争いなど国際問題は複雑化するばかりです。

 そこでつくづく思うのは、早めに多くの国々を訪ねておいて良かったということです。その頃は、体が元気な内に体力・気力が必要な遠くの国から先に見ておこうと判断したのが結果オーライとなったのです。やれる時にはやっておくことが悔いを残さない唯一の方法なのです。
観光は平和産業ですから、平和な国や地域でなければ観光客を集めることはできません。日本は今のところ平和な国と思われていますので、海外からの観光客が激増し、インバウンドの個人消費が増え続けているのです。これからの日本が紛争に巻き込まれたり、テロが起こらないようにするためには、政治家や政府に任せるだけではなく、我々国民全体の努力が必要なのかも知れません。

2015年11月12日 田舎の勉学より京の昼寝

 熊本という地で仕事をする中で心配なことの一つは、地元生まれの若人の消極的な態度です。地方に生まれ、地方で育ち、地方の企業で仕事をすることになれば、世間が狭くなるのは自然なことです。比較対象がない場合は、自分自身が消極的であるとか、世間を知らないということすら認識できないかも知れません。さらに、折角大都会の一流大学を卒業したのに、即ぐに帰郷して地方の企業に就職するというケースがあります。地方のオーナー経営の企業では、可愛い息子をあえて他人の窯の飯を食べさせて汚してはいけないとの父親の考え方から、即ぐに手元に置く場合すらあります。

 情報収集力や人脈形成力が重要になってきた現代社会では、前記したような直線型の就業は、せっかくのチャンスを逃すばかりか、成長の機会を自ら閉ざしているように思えてなりません。司馬遼太郎が書いた小説「峠」には、幕末の越後長岡藩の家老として、最後まで薩長同盟軍と戦った河井継之助が描かれていますが、彼は「田舎の勉学より京の昼寝」と言っています。これは、田舎でどんなに猛勉強しても、全国から有為の人が集まり最新の思想や情報が集まる京都で昼寝している方がずっと有益だという言っているのです。さらに言えば、尊王の志士にとっては天皇の住まいがあるのが京都ですから、そこにいてこそ様々な政治活動ができたのです。

 つまり、直線型の就業よりも複線型の就業の方が、一見遠回りのように見えて結局は実力を付ける道になっていると思うのです。五木寛之は自分の小説に「青年よ、荒野を目指せ」というタイトルをつけました。まさに荒野が青年を鍛え、人生に打ち勝つ力を付けてくれるのです。  そうした有為な青年を数多く、まるで古代中国の偉人達、例えば斉の孟嘗君や秦の呂不韋らが食客を抱える競争をしたかの如く、近くに集めたいなとの夢を持ち続けています。

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