芭蕉林通信(ブログ)

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2015年08月26日 白洲正子さんの松上げ

 今年の盆休みは、長年の夢を叶える旅となりました。それは、京都北の山中にある八枡の火祭り「花背の松上げ」を見学できたからです。
 この松上げを広く世に知らしめたのは、白洲正子さんの本「隠れ里」です。その神秘的で勇壮な火祭りを見たくて、花背の宿「美山荘」に予約をしたものの、僅かな部屋しかないので5年先まで予約で一杯。ところが、春に京都に行った際、美山荘で中食を味わっていると、とても上品な女将さんが無理をすれば一部屋用意できますと話をしてくれたのでした。元気な内に松上げを見る事はできるのかなと不安に思っていただけに、女将さんの話は奇跡に思えました。
 

 8月14日がその日ですが、万が一雨であれば松上げは中止になりますから、約一週間前から天気予報とにらめっこです。そして、当日は天気に恵まれ、見事な松上げを見る事ができたのです。因みに、松上げとは松明を放り投げて20mの高さにある大松明に火を付けることです。松とは松明の松のことなのです。
 会場の広河原には辺り一面松明が点され、男衆総勢50名ぐらいがやおら火の付いた松明を藁紐の遠心力を利用して放り投げるのですが、ハラハラドキドキの連続です。やがて一つの松明が20m先の松明に乗り、さらに別の松明が続くと暗がりにある大松明は夜空に大きな火炎を立ち上らせるのでした。
 思えば、地元でも阿蘇神社に古式豊かな火祭りがあり、早乙女の行列があります。来年は、阿蘇の幻想的でロマンに満ちたこれらの祭りを見て、京都との歴史的なつながりなどに想いを馳せたいを思っています。
 
 


2015年08月13日 個人的な戦後70年展

 本年は戦後70年の節目の年とあって、特別な感情がわき起こると同時に、政府では多くの行事が組まれているようです。とりわけ世界が注目していると言われる安倍首相の戦後70年の談話は、明日14日に発表されますから近隣諸国の反応が気になるところです。
 「失敗の本質」という本は今なおロングセラーとして読み継がれていますが、この本は第二次大戦で多くの犠牲者を出し、苦戦ないしは完敗したいくつかの戦いを分析した名著の誉れ高い本です。一読して思ったことは、日本人は責任を曖昧にする民族だという点です。今回の東京オリンピックのメインスタジアム建設計画の白紙問題にしても、事件の経緯がつまびらかなになることは決してないように思われます。野党が国会で追求しているように、せいぜいトカゲの尻尾切りで終わりそうなのは残念な限りです。

 さて、私の周りに戦後70年に関連するモノがないかと思った時、亡父が海軍中尉時代に身につけていた「短剣」と海軍航空隊で父が教官として乗っていた「99式艦上爆撃機の模型」、そしてネットオークションで購入した「シンガポール陥落記念の鉛筆画3点」があることに気づきました。そこで、急遽会社の一隅に「戦後70年展」のコーナーを儲け、戦争を知らない我が社の社員に説明しつつ見せています。
 私の社会人のスタートは広島でしたが、ある時訪ねてきた父が、海軍兵学校のあった江田島での同窓会に私を連れ出したことがあります。73期の卒業生は当時50歳ぐらいと思われますが、同期の三人に一人が戦死しているとあって、まず「海行かば」の斉唱があり、校舎内にある運動場で円陣を組んで行進していた姿を今でも思い出します。確か同期で最初に戦死した方は、天皇陛下に卒業報告で謁見した後、配属した艦船で一日目に亡くなられたそうですから、戦争はごくごく近くにあったのでしょう。つらい、怖い話です。
 
 軍刀の錆びて亡父の終戦日 


2015年08月03日 便利な両目

 昨年の夏は冷夏長雨で、8月の真夏日は極端に少なく、我が家でソーメンを食べたのは一日だけでした。ここでソーメンが突然出て来た感がありますが、盆地型の天候である熊本の夏はジリジリするほどに暑く、暑くなれば食欲を失くすのは当然で、自然「ソーメンでも食べておくか」となるのです。つまり、ソーメンは暑さを測る物差しという訳です。従って昨年はどうなったかというとソーメンの売上はさっぱりで、ひねものが増えた結果、今年の夏はソーメンの安売りからスタートしたのでした。

 さて、前回は7月の読書目標は20冊と申しましたが、何とか21冊を読み切り目標を達成することができました。これは、読書するに値する本に恵まれたということと、読書する時に使う目が未だ健全であるという事実に寄っています。
 加齢すると、歯と目にお金がかかると聞いたことがありますが、私の場合はそれに頭髪を加えて正解と言えます。治療費はもちろん、治療のための時間浪費もばかになりません。ただ、私の場合は、右目が遠視、左目が近視のために、運転する時も本を読む時も裸眼で済ますことができるので大変に助かっています。とりわけ、好きな読書が老眼鏡なしでできるというのは、読書欲を損なわないでくれるのです。

 もっとも酷使してきた目はしばしば充血ではなく失血しやすく、いっときも目薬が手放せません。情報を得るには、聴覚や味覚より視覚からが圧倒的に多いというのは事実ですから、今しばらくは便利な目を大事にしながら、生活を楽しみたいと思っています。
 最後に蛇足ながら、「首相」という名前にも目が入っています。「相」の字を立てに並べ替えると、木の上に目がある形となり、それは高い所から全体を見渡すという意味になります。安倍首相には、大局観に立って、国の進むべき道を正しく選択してほしいものです。ところで、安倍首相の目は、遠視でしょうか、あるいは近視でしょうか?

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