2016年01月19日 スピーチとスカート
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ただ過去には、大変に長いスピーチがあり、痛快と思えるような事態に遭遇したことがあります。一つは東京で、もう一つは熊本でのことです。東京のある懇親会で、来賓の一人が締めの挨拶を長々としている時のことです。業界の長老と言うべき人が、突如、「話が長いぞ、早く終われ。」と叫んだのです。会場にいた多くのメンバーが一瞬凍り付きましたが、挨拶していた当人は苦笑いしながら話を収めて降壇したのは立派でした。当事者の二人が気の置けない関係だったかどうか確認していませんが、ダラダラと長い話を一刀両断で終わらせた一言は見事な切れ味でした。 熊本ではある経済界のトップが20分を越える挨拶をしようとしていた時のことです。会場にいた一人がつかつかと壇上に歩み寄り、「あんたの話は長過ぎる、はよ止めなっせ。」と言ったのです。権威にひるまず思う事をずばっと言ったその勇気にはいささか感激しました。多分、会場全員が同じ気持ちだったのですから。 そこで思い出すのは、「ヤジは国会の花」という言葉です。民主主義国家の由縁でしょうか、国会の審議でヤジがよく飛んでいるのには驚かされます。時々、セクハラまがいのヤジが問題になるのは、ヤジを飛ばす政治家の品格のせいでしょうが、ヤジに慣れていない私などは、ヤジが飛んで来たら立ち往生しそうな気がします。 そして私自身も「長いぞ、早く止めろ。」と言われないように、要領良く短めに話すように努力したいものです。 |
2016年01月04日 ギャンブル下手
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思えば、ギャンブルらしきものに初めて手を出したのは学生時代の麻雀でした。ただクラブ活動で毎日ヘトヘトになっていましたので、深みに嵌る事はなく結果的には下手のままで今日を迎えています。競馬は社会人になり同僚に誘われていい加減に買った馬券が大当たりしたことがあります。味を占めてその後買った馬券は空振りとなりましたので、以後一切馬券とは縁を切りました。 銀行員の時に部内で予想コンテストがあり参加させられたことがあります。それは円レートや公定歩合の予想など銀行らしい問題に加え、巨人軍に入団した原選手が三塁の正選手に定着するかなどの10の予想当てでした。そして、無惨にも私は最下位の点数を取り大いに恥をかいた記憶があります。 そうした私を助けたのは父の一言でした。それは経営に勝るギャンブルはないと言うもので、確かに経営者の投資は億単位ですから、失敗すれば桁違いの損失を被る訳です。また、ある人から絶対に上がるから買うべきとの株を紹介されたので、父に購入資金を貸してくれと言ったことがあります。その時、父から自分の金で買えと言われたのはショックでした。今思えば当たり前のことですが、その時は目先の利益に冷静さを失っていたのでしょう。 かくして、ギャンブルの才能がないばかりか、縁にも恵まれなかったことを人生の幸いと思い、名前の通り亀のように一歩一歩確実に前に進むことを心情に今日まで生きています。 |
2015年12月22日 出処進退と寺山修司
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第二次世界大戦直後の占領軍の統治では、軍閥に協力した多くの財界人が公職追放となり、その穴埋めに企業のトップに立ったのが、30代や40代の中堅幹部でした。その若々しい幹部連が責任感と使命感を発揮して、戦後の高度経済成長の立役者になったのですから、企業の一挙の若返りは結果オーライになったのです。 今朝はたまたま寺山修司の本「書を捨てて街にでよう」を読んでいて、つい冒頭部分に引きつられました。それは「少年よ 大尻を抱け」という一章ですが、要は若者よ老人に負けるなというエールなのです。女性が「最近の男性はピンポン・ジェネレーションだ」と言うのですが、それはタマが小さいとの意味なのです。老人がポストに居座るのではなく、若者がそのポストを奪い取れと寺山修司が言っているような気がしてきました。 |