芭蕉林通信(ブログ)

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2009年10月13日 色彩感覚

今回は、熊本の俳誌「阿蘇」に寄稿したものを転載させていただきます。

 高麗門のJR踏切の横にある花屋さんから声を掛けられたのは、何のきっかけだったか今では思い出せない。しかし、典型的な中年の容姿をもった彼は、ある洋画家の名前を出し、私を紹介したいと言った。その洋画家のアトリエが花岡山の中腹にあるというからには、その花屋さんと洋画家は花屋とその客といった関係だったのかも知れない。
 意外な取り合わせに驚いたものの生来の好奇心が疼き、ある時洋画家のアトリエを訪ねた。中村さんという洋画家の広い敷地にはご自宅の他に、別棟の瀟洒の白い外壁のアトリエと大型犬ブルゾイ二匹を放してある大型の円形柵があり、日本離れした雰囲気にまずは圧倒された。
 中村さんは好々爺然とした老齢の方で、私は初めて接する本物の画家というので緊張しつつも関心しきりだった。その訪問をきっかけに何度かアトリエを訪ねることとなったが、それは中村さんの話が面白かったからに他ならない。気取らない性格の上に、自分の絵への疑問を口にする正直な姿勢に好感が持てたせいもある。
 中村さんは自分の絵に自信を失うと2~3年は筆を置くといったことを、側にいる優しい奥さんが困った顔で話された。プロの画家は絵を買ってもらわなければ生活できないのだ。困った奥さんを前に中村さんは、パリ在住の話をしてくれる。ピカソは異分野の人達、つまり哲学者、詩人、物理学者らと付き合って新しい考えを吸収していったとか、レオナルド・ダビンチのモナリザを上回る絵を描く夢を持っていたとかいう話は特に面白かった。
  そして、写真の現像はフランスでするようアドバイスされた。当地で育った職人は生まれながらに素晴らしい色彩感覚を持っているという。パリの街並みを見ながら生まれ育つのであれば納得できる話である。試しに、私も親しい現像屋さんに色は出さずに材質感を出すよう依頼した。被写体ごとの材質が追求された写真は、まさに中村さんの言う世界となっていた。

2009年10月03日 棚田の美

かつて熊本県におていは、細川知事時代に「農村景観コンクール」というものがありました。
当時は、細川知事の提唱した「日本一作り運動」が全国の注目を集め、洛陽の紙価を大いに高めたのを喜んだものです。

私の中学時代の美術の先生は、「農村景観コンクール」の審査員をしたそうで、美しい景観を持った農村には共通項があると教えられました。
それは、@世代交代があっている、A活力がある、B笑顔が見られる、の三点でした。そして、コンクールで表彰された農村として、球磨の梨畑や河内の段々畑をあげられました。

先月の敬老の日に、母を連れて吉牟田高原にまでドライブしたのですが、その帰り道に見つけたのが、写真の棚田です。金色に輝く稲、あぜ道を彩る彼岸花の赤色に心を動かされました。日本列島は実りを秋を迎えようとしています。

2009年09月25日 放生会 町衆 能に打ち込めり

9月21日、熊本市最大のお祭り「藤崎宮例大祭」が晴天の下、盛大に執り行われました。一般的には、武者姿で練り歩く随兵行列や飾り立てた馬が出る馬追いが有名ですが、神様が休憩されるという「お旅所」ではしめやかに奉納能がありました。

明治維新の際には全国的に廃仏毀釈運動が起こりましたが、それまでは祭りは「放生会」と呼ばれていたそうです。神社境内には仏教のお坊様達が住んでおり、放生会があると僧達は川には魚を、空には鳥を放してお祈りしていたようです。
私の生家の近くにある「お旅所」は、昨年の閑散とした会場とはうって違い、多くの人が見物に集まっていました。もっとも、能は神様に見せるものですから、一般の客はいてもいなくても関係ありません。演目は五つほどありましたが、朝9時から昼過ぎの2時まで続く奉納能は、無料で見られるのですから驚きです。
演目の一つである「羽衣」を見ている内に、能面の醸し出す幽玄さにしばし浮き世を忘れた心地がしました。

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