芭蕉林通信(ブログ)

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2009年09月07日 北海道沖の太平洋でイカ釣りを

苫小牧港から時速25ノットのボートで約45分。そこは見渡す限り水平線という太平洋のまっただ中。日頃、有明海という内海しか知らない身にとっては、不安を感じさせる大海原です。
おまけにイカ釣りの一投目と二投目は、水深100メートルから海面に上がる直前に鮫に横取りされるという羽目に陥りました。
水平線を見ながら、地球は丸いという証拠を見つけようというゆとりもどこかに吹き飛んで、船酔いと闘いながらの釣果競争に突入しました。

遊漁船の漁師さんに、出没するという鮫の性格を聞く時はさすがに緊張しました。幸い、人食い鮫ではないようで一安心しましたが、引き上げたイカを追って姿を見せた青白い鮫には、いい感じはしません。
風は、いつの間にか風速3メートルから6メートルに強まり、シーアンカーを降ろした船は止まればやはりうねりを受けて揺れ始めます。素人釣り師は浜ちゃんのような釣り馬鹿にはなれないなあなんて気弱になるのも太平洋のすごみでしょう。
何とか7〜8匹ほど釣り上げたところでジ・エンド。
息も絶え絶え帰投しました。もっとも、船上で漁師さんが釣り立てのイカで作ってくれたイカソーメンは、甘く適度の歯ごたえがあり絶品でした。呼子港で食べるよりも新鮮なのですから当たり前です。
一人100匹という目標達成はなりませんでしたが、残暑知らずの北海道で得難い経験をした一日となりました。

2009年08月25日 海を渡って初めての原城へ

熊本から有明海を高速フェリーで渡ると、1時間もかからず長崎県島原地区に着きます。九州各県の中で、熊本県だけが他のすべての県と県境を接しているということを実感できます。
天草・島原の乱の最後の激戦地となった原城は、フェリーの発着場から1時間弱の所にありました。

原城跡は、夏草や兵どもが夢の跡、というほど雑草は茂ってはいませんでした。むしろ、よく整備されている印象です。しかし、随所に戦いの痕跡が残っているのは痛ましい限りです。
数万人の男女が籠城して戦い、死んでいったといったという説明板。戦いの最中に傷つき、死の間際に石に名前を彫って残したという石碑、戦いが済んだ後、徹底的に破壊された石垣などが印象に残りました。
原城は海に面した、守るには安く攻めるには堅いといった要衝の位置にあります。しかし、キリシタンの籠城軍にとっては、攻めてくる幕府軍は数倍の規模であり、多勢に無勢の戦いであったはずです。晩年に細川家に寄留した宮本武蔵も、この戦いに参戦し、籠城軍が投げた石に傷ついたという話が伝わっています。
城跡を散策している時に、海に面した柵の外、雑草の中に三体の小さな石像を発見しました。よく見ると、十字架を前にかざした宣教師と男女の像のようです。その三体が、遠く有明海を見ている姿は、信仰に生きて散っていった籠城軍の人たちを思い出させて、何とも哀れな感じがしました。

2009年08月18日 山鹿灯籠祭りを見学、全国三大盆踊りを体験

8月16日は、地元にいながら初めての山鹿灯籠祭り見学でした。日帰りのツアーに参加して、一路熊本市郊外にある山鹿へ。
千人灯籠の会場である山鹿小学校の校庭には満場の観光客が席を占めていました。

日も落ちる頃、祭りは佳境を迎え、千人の踊り手が頭に和紙でできた灯籠を乗せ入場する頃には、夜風がさわやかに会場を吹き渡りました。光を落とした会場には、一斉に灯籠に灯が灯り、いやが上にも雰囲気が盛り上がります。
会場を埋め尽くす灯籠の光の波は、まるで深海を照らす夜光虫のようで、幻想きわまりないものです。
今回の見学により、富山県八尾の風の盆、秋田県西馬内の盆踊りと日本三大盆踊りを制覇したことになります。それぞれが風土と歴史を秘めたものであり、個性豊かな踊りだったことを思い出しました。
これからも、歴史に彩られた全国の祭りを見ていきたいと感じた一日でした。

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