芭蕉林通信(ブログ)

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2017年11月16日 くまもとの未来に残すもの

 先日、2050年の熊本の中心市街地整備の検討状況を聞く機会があった。人口減少を与件としたものだったが、その程度の予測で33年後の街を作って良いのだろうかと疑問に思った。ハリウッドの人気映画「ブレードランナー」の新作は2045年のカリフォルニアが舞台である。広漠な廃墟が広がる未来感に心寒くなるが、その方がバラ色の未来論よりは説得力があると思った。

 それにしても、2050年の未来予測ならば、著名な未来学者アルビン・トフラーに意見を聞きたいところだが、彼はもういない。せめて、熊本の残すべきものは何か自分なりに考えてみた。それにしても33年後の熊本では高齢者が増え、働き手として外国からの移民やロボットが増えているだろう。空き家や空き地は増え、自動運転やカーシェアは当たり前、ドローンが空を行き交っていることだろう。再生エネルギーが主流になっているに違いない。

 そうした未来に残したいものは何かとなると答えは意外と難しい。歴史遺産、伝統産業・芸能、文化・芸術、自然、景観、人情、産業蓄積、革新技術、名産品、気質・県民性、都市空間、地域間ネットワーク、農林水産資源、人的資源などがすぐに頭に浮かんでくる。案外、「わさもん」気質という新しいものを受容する県民性が評価されているかも知れない。33年の間に世界が激変することを考えれば、どれ一つとっても残すには相当の努力を要すると思われる。さて何から手を付ければ良いのだろうか。

2017年11月07日 ものの形

 いつ頃からか形あるものは必ず崩れると思ってきた。新車を買ってぶつけたりしても、それほどがっかりはしない。新車はいずれ中古車になり、最後は廃車になると思っているからである。その中で希有な車だけが、クラシックカーとしていつまでも皆から愛される。絶世の美女が死ぬまで若々しく奇麗であり続ける訳はない。美男子も同様である。要は、美しく老けること、円熟味を出して歳をとれば良いのである。

 古美術は、そのモノを通して歴史を遡ることのできる世界である。真贋はまことに難しいが、そのこと自体が多くのことを学ばせてくれる。誰がいつこの作品を作り、誰がどこで所持し、今までどのように使用されてきたのかと想像すれば限りがない。モノに執着するということ、モノを次世代への渡すまでの預かり物とすることなどいろいろと考えさせられる。

 そういう点では、興味を抱くモノの値段が高いか安いかはあまり関係ない。道ばたで拾った石ころやレンガ片にもロマンを感じることができる。もちろん、歴史的な価値が高いものには別の意味で魅力を感じる。明治維新という大変革以後、日本人が見失った日本的美を欧米の人が高く評価したということを私たちは忘れてはならない。

2017年10月30日 いつから捨てようか

 衣替えの度にうんざりする。秋の今ならば夏物を片付ける訳だが、一夏に一度も着なかった服があまりにも多い。しかも新規の夏服を買い足しているのだから話にならない。今年は思い切って30着ほど処分したが、今度は秋冬物が床にうずたかく詰まれてしまった。

 周りを見渡すと、衣服に限らず本、陶器など趣味に関する物が整理されないまま溢れかえっている。増やすべきでないと分かっていても、集める癖がなかなか治らない。誰もが欲しがらない物を愛おしく思うのはゴミ屋敷の住人と似ているかも知れない。

 心理学者フロイトの机の上は世界から集めた美術品で溢れていた。スイス人画家パウル・クレーは拾って来た石や貝殻を机の上に無造作に並べていた。彼らはきっと脳を休めたり発想のヒントを得ようとしたのだと思う。しかし世界の偉人と比べても仕方がないので、凡人の私は人生の区切りとして周りにあるものをいつから捨てようかと悩んでいる。

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