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熊本地震から1年以上経った。忘れた頃になって、地震で壊れたキューピー人形が帰って来た。人形は陶製であり、地震の時に上から落ちて来た数冊の本に当たり、木っ端微塵に壊れた。愛着ある人形なので、すぐに破片を集めて接着剤で修復を試みた。ところが、丸みを帯びた体型であり、見つからない破片もあったりして途中で修復を諦めたのだった。 しばらくして、専門家に任せれば何とかなるのでないかと気がついた。そこで私の拙い修復痕を残したまま、ある人を介して専門家に修復をお願いした。拙い修復、見つからない破片などからして、一体どこまで修復されるか不安が残った。 そして1年ぶりにキューピー人形と再会したのだが、完璧な修復ぶりには驚嘆した。見つからなかった部分を含めて、壊れる前の姿に完全に戻っているのである。喜んだのは当然だとしても、修復した痕が分からないほどの技術に空恐ろしくなった。ともあれ、元の姿に戻ったキューピー人形は二度と本が落ちて壊れないように今では大事に保管している。
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5月26日付けの日経記事、日本では「熱意ある社員は6%のみ」というギャラップ調査には衝撃を受けた。アメリカの32%に比べて大幅に低く、調査対象である139カ国中132位という低さ(ほんと?)なのである。日本国内で日本の企業同士の戦いならば問題はないが、今日のグローバル社会にあっては、他国の企業と戦えばやる気のある社員の数で負けることになる。と同時に、自分の会社で熱意ある社員が少ないのであれば大問題だと思った。 そこで気になるのが日本の教育行政のいい加減さである。一時はゆとり教育により生徒の個性や創造力を養おうとしたが見事に頓挫した。日本では親子に甘えの構造があり、欧米のように生徒の個の確立が進んでいない。つまり、子の親離れ、親の子離れがなされていないのだ。そうした家庭環境の下で生徒に自由に羽ばたけと行っても、生徒は何をして良いのか迷うだけだったのではないか。 さらに、内田樹さんは講演録「日本の覚醒のために」の冒頭で、日本の大学の質的劣化は、世界の注目を集めるほど著しいと述べている。多くの大学は単に卒業単位を取るだけの教育機関に成り下がっており、真にエリート教育がなされていないのではないかと不安になる。こうした大学から学生を社会に送り出しても、知の基礎体力や社会的責任感を持ち合わせていない学生ばかりでは受け皿の企業が苦労する。冒頭のギャラップ調査は国家の一大事だと思った。
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永野健二著「バブル 日本迷走の原点」の副題には、住友、興銀、野村、山一・・日本を壊した「真犯人」は誰か、とある。興銀に9年間お世話にになった身としては否応なく購入し読むこととした。永野氏が示しているバブルの熱狂期間が1980-1989だとすると、私が興銀を退職し帰郷した1982年はバブルがすでに始まっていたことになる。そして株価が大納会に日経平均で3万8915円のピークをつけた1989年は、私が37歳で社長に就任した2年後であり父を失くした年である。つまり、私が故郷熊本での新しい仕事にとりかった30歳代の大半は、日本経済のバブル真っ最中だったことになる。 そこで私がバブルとどう付き合ったか思い出してみた。幸いだったのは当時は地域の食品問屋である本業が大変な時期であり、また賢明な父も健在であり、不動産や株式に投資する考えは毛頭なかったことである。しかし、父が亡くなった時にはさすがに歯止めがなくなり、当時流行っていた財テクに挑戦したり、ゴルフ会員権を高値買いしたことがあったのは身の不明としか言いようがない。 ただ、その時は既にバブル崩壊の兆しがあり、早く終戦処置をし傷口を広げずに済んだのは幸いだった。あの頃は、大半の銀行が土地神話を元に融資競争に走り、バブル崩壊後は一転して貸出しの回収に邁進するという変節ぶりを示した。その変節ぶりを見た時に、私を育ててくれた興銀の良き時代は終わったと感じたのだが、その予感は後に現実化したのだった。
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